「わたくしごとで申し訳ないのですが、この度、結婚することになりました」
先週木曜だったか金曜だったか、昼休みが終わって席に戻ってみると、斜向かいの席の松田さんが驚いた声をあげた。
「なんだよ。昼休みの間に、こんなことをしれっとメールで報せるなよ」
振り返った松田さんは、ふたりを交互に見つめる。
「おめでとう」
舞子ちゃんと有木くんは、そろって首をすくめて、きわめて静かなリアクションを返した。
ふたりが結婚することを、社内メールでこっそり同じ部署の方々にだけ報せたらしい。
なんと控えめなんだろう。
ふたりとは、わたしも少しだが仕事をお手伝いしたことがある。
若く、有木くんはやさしくて謙虚で、舞子ちゃんはほわりとしてて、そしてがんばり屋だった。
「っつうかさ。村木くん、その席、仕事しづらくね?」
松田さんが、あはは、とやにさげながら、村木くんに向かってつっこむ。
村木くんはふたりの間にばっちり挟まれた席だった。
ええ、まあそうかもしれませんけど。
村木くんは、あははと生真面目な彼らしく、照れ笑う。 そんなのどかな風景をみやりながら、
そうか。 有木くんがなんとなく舞子ちゃんを思っているような気配を感じはしていたが。 そうなっていたのか。
そうして週末が明けた。
わたしは連絡会のため自社を訪れた。 連絡会はつつがなく流れ、さて終わった、となったそのときである。
他に連絡事項はありませんか?
火田さんの締めへの言葉を聞きつつ、ガサガサとファイルや予定表やらをテーブルでまとめだしていた手は、とどまらない。
「あの、ちょっとよろしいでしょうか」
二崎さんが、ちょいと手を挙げた。
「わたくしごとで申し訳ありませんが。 この度、私と令子さんが結婚することになりました。 えー、業務には支障ないようにしますので、どうかよろしくといいますか、お知らせさせていただきます」
二崎さんの隣にいた令子さんは、「いま言う?」という顔をはじめはしていたが、最後には帳尻を合わせるよう、二崎さんと一緒にペコリと頭を下げた。
なにやらはにかんだふたりの照れ笑いが、わたしの瞳を透過し、網膜に跳ね返る。
「おめでとうございます」
皆が口々に祝福する。 もちろんわたしも、手を叩いて祝った。
しかし、
いったいいつからそうなっていて、こうなったのか。
まったく知らなかったのである。
出向していて、週一回しか皆と会わないのだから、知らなくとも仕方がない。
いや、だからこそ。
これはわたしの聞き違いか勘違いか。
冗談かドッキリか。
はたまた妄想か白昼夢。
なのかもしれない。
二崎さんとわたしは、話せば話すほど意見が分かれてゆき、衝突直前でどちらかが緊急回避するか、その手前で話を切り上げたりするような間柄である。
が。
「なあにふたりでじゃれ合ってんのさ」
わたしの背中を、アタタタタと嫌がるほどにつっつき回したり、ちょっかいを出しにきてくれたりするような、それはきっと二崎さんがわたしを嫌ったり煙たがってはいない、ということなのだろう。
そうか。 あのときのあのちょっかいは、きっとこのことの予兆だったのかもしれない。
「いったいいつの間に、そんな幸せなことになってたんですか」
席にやってきた二崎さんに顔だけ振り返り、わたしは、騙されないですよ、もしくは、なあにをしれっとそんな一大事なことを発表してくれてんですか、とねめ上げる。
「いいじゃん、べつに」
あからさまに照れてはぐらかそうとする二崎さんの顔に、
コンチキショウめがにへらにへらしよってからに、この幸せもんめが。
と、それが、やはり事実だったのか、と確認させられてしまったのである。
ちょっと待て。 立て続けに身近で社内婚の話が舞い込んだのは、やはり、どうにもうそくさい。
しかし、事実であるらしい。
二崎さんは四十代半ばで、先の有木くんらは二十代半ばである。
間の三十代で、まさかまた立て続いて「実は」との話が舞い込んできたら、それこそまさに、うそ話に違いない。
知らず知らずに、用心して辺りをうかがってみたりしながら過ごしてしまうのである。
火曜が過ぎ。 水曜が過ぎ。
木曜を無事、過ごした。
どうやら、うそ話ではなかった。
令子さんと朝、エレベーターで一緒になったときに、あらためて、
おめでとうございます。
と小声で言ってみた。 周りはたくさんの社員さんたちでぎゅうぎゅう寸前だった。
ありがとう。
の後に、しっ、と人差し指を立てたところで、扉が閉じた。
その人差し指のまわりだけ、ひみつに包まれているように思えて、わたしも口を閉じた。
ああ、そこに令子さんと二崎さんの、ふたりのひみつが含まれているのだな、と思った。
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