振り返ると自分の足跡はいつでも乱れていて。 雑でいびつでただ見事だった白浜を汚してしまっただけのように。 顔をあげるとまっさらな美しさに心を打たれて。 きっとそこから一歩も動けなくなりそうで。 だから目をつぶり、せめて振り返る方を選ぶ。 汚してしまう罪をせめて確かめながら進む為に。
贅沢なことだと思いつつも、本能が求めるままに映画尽くしの三日目です。 娯楽ではありますが、自分が書くかたち書き残し等が、ふと頭に浮かんできます。その為にも必要なことと言い聞かせて正当化しています。
どうしても観てみたい作品がありました。
「飯と乙女」
を渋谷ユーロスペースにて。 ブッダの食にまつわる言葉と説話をモチーフに、三組の男女を描く物語。
ダイニングバーの調理担当である沙織は、ひとのために食事を作り食べてもらうことが大好きで、いつか自分の店を持ちたいと思ってます。 だからお客さんに少しでも食べ残されると悲しい気持ちになってしまいます。
そんな中、常連のひとりである九条が決して料理を頼まないことを気にして、カツサンドをお土産で持たせるのです。しかし九条に渡したはずのカツサンドを、托鉢僧がムシャムシャ食べているのを見てしまうのです。 九条には食にまつわる因縁があって、食べることができなかったのでした。
常連のもうひとり美江は、同棲している彼が働こうとしない口だけ男のストレスから過食症になり、常に食べて、そしてすぐにトイレで吐き出すことを繰り返す日々でした。 しかしとある日、いつも通りに吐き出せなく、妊娠したことに気が付くのです。 彼に「生かすか、殺すか」尋ねます。
「俺が、食わせる。 俺は、口だけじゃない」
翌日から皆の前から彼の姿が消えてしまいます。 「わたしが食べちゃった」 美江が冗談っぽく、答えるのです。
美江の勤めている会社の社長は、といっても社員は美江ひとりきりの小さな個人会社ですが、いつも向かい合わせでパソコンのモニター越しにパクパクバリバリボリボリムシャムシャ食べている美江を見ながら、いつも弁当を蓋で隠して食べていました。
美江が弁当箱の中を見てみると、はじめから何も入っていない「空っぽ」だったのです。
「食べなきゃ生きてゆけないなんて、 面倒くさくて嫌になっちゃうね」
苦笑いで誤魔化します。 しかし資金繰りが苦しく、せめて自分の昼食代だけでも削って給料に当てられるようにしなくてはと。
社長の妻と娘はこれがまたよく食べるのです。 大皿に山盛りキャベツの千切りをぐるりと囲むコロッケの量や、間食に娘はきゅうり丸ごと一本を味噌のパックを抱えてバリボリかじっているのです。
やがて自分は晩御飯も食べなくなります。食べて帰ったと嘘をつき、だけど空腹に耐えきれず夜中に用意してあった翌朝の娘の弁当を、食べてしまうのです。
「即身仏って知ってるか?」
後悔から段ボールハウスに籠って自分も即身仏のように絶食しようとするのです。
ブッダが断食していた時、村娘が不憫に思い差し出した乳粥を口にします。 そしていたずらに食を断つ無意味さを悟るのです。
作中、
食べる為に生きるんじゃない。 生きる為に食べているんだ。
という言葉だったのが、
食べる為に生きるのも、 生きる為に食べるのも、 同じことなんだ。
と最後には変わります。
コの作品は、とても素晴らしい作品です。 料理がとても美味しそうに見えて、食欲がそそられてしまいます。 食事はとても素晴らしいものなのだと思い出させてくれます。
そして誰かと食べることや、誰かの為に作ること、そしてそれを食べることの素晴らしさと大切さ。
「食べる楽しみ。食べる苦しみ」 「すべての苦しみはおよそ食糧から生ずる」
是非、観てもらいたい作品です。
それが罪だと不必要な自責にかられるよりも。 それは与えられたものだと幸福に思える日々を。
それでは。
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