「無事に帰ってきたんですね!」 (よかったぁ)
()内は、わたしの勝手な註釈である。
二週に一度だと、すでに三週前の旅ということになる。イ氏には前回で大体の話はしてあるが、写真はなかったのである。
「写真とか、ないんですか?」 「ふっふっふ、今回はちゃんと(あなたのために)あるんですよ」
()内は、わたしの勝手な註釈である。
「じゃあ後で一緒に……」
「やっぱりちょっとだけ、今見てもいいですか?」 (ふたりでゆっくり見たいから、先にちょっとだけ)
今はすでに懐かしく笑って語れる過酷な熊野路の写真をぱらぱらとめくってゆく。
えっ、これ川じゃないんですか? 雨水が流れてるだけで、道なんです。 こんなのただの石が置いてあるだけじゃないですか!? これが古道の「石畳」の道なんです。
「本当に険しいんですね、でも……」
「目の前で(一緒に)見たいなぁ」
()内は、わたしの勝手な妄想、いや註釈である。
「きみは、「嵐を呼ぶ男」だねぇ」
イ氏の開口一番である。 わたしの妄想劇場も呆気なく幕を閉じた。
そう。 わたしは「災いを呼ぶ男」
先日の台風上陸でニュースで見たひとも多いだろう。
熊野那智大社が土砂崩れで埋もれ、さらに那智勝浦町や新宮市では70名近くの死者・不明者など甚大な被害を受け、そして今もなお災害の危険にさらされている。
まさにわたしが訪れた街での、胸が苦しくなる知らせであった。
「五、六年前に「遠野」に行ったときも、そうだったんです」
帰ってきてしばらくしたら「宮城県沖地震(2005年)」が起きてしまったのである。
旅した先全てが、というわけではない。
わたしが何も災いに遭わなかったところが、どうやら当てはまってしまっているような気がする。
デジカメが壊れた。 違反キップを切られた。 携帯が壊れた。
たかがその程度のことと災害を一緒にしてはいけない。
気のせいである。
「これ読めた?」
イ氏が田丸さんに振り返る。
「ヤタガラス、ですよね」 (ふふ、さっきふたりで話したばかりだものね?)
くどいようだが。
()内は、わたしの勝手な妄想である。
もしもこれが読めなかったとしたら、わたしはとてつもなく、悲しい気分にうちひしがれてしまったであろう。
「神武天皇の東征を成功させた三本足のカラスってなってるけどさ、実は……」
ああ。 それを話し出してしまったら、いけない。
熊野の氏族の内通者を暗に示している、と言われているのである。
カラスは黒い。 隠密、密告者など、暗部を例えるのにもってこいである。
なかなか見つからない征伐の相手であった元からの熊野の氏族の住処を見つけ、一網打尽に滅ぼし、平定する。
功績をたたえて名を残してやろうとも、それでは未来永劫、その一族が明確な怨みの対象となってしまうことになる。
そこで、例えて伏せた、というのである。
三本足のカラスが誰かさんを道案内した、という程度しか知らないのが普通であり、またそれが殺戮の話だったりなどとはつゆとも思わせない挿話である。
田丸さんはきょとんとした顔で「そうなんですか?」と相づちをうつだけである。
大国主命の「国譲り」神話も、要は元から住んでいた氏族を新しい氏族が十重二十重に取囲んだ。 最期の籠城と臨み抵抗したが、「塵ひとつ残らぬまで滅してやろうか」と迫られ、「無下に命を散らすのは愚である。降伏しよう」となった史実が元になっているという。
わたしも正しく詳しくは知らないが、このような解釈や説を全く聞いたことがないと、「はあ」のひと言が精一杯である。
「でも何で、当時の人たちはこんなのにこんなにまでして、何を祈ったんだろうかね?」
イ氏がわたしにどの解を求めているのか。
「過去、現在、未来の救済らしいですけどねぇ」
チラリと田丸さんを横目で見ると、へえぇと聞いていた。
元々は違うだろう。
はじまりは、自然信仰である。 付き出す男性器の象徴である巨石(神倉神社のゴトビキ岩)に、潤い滴る女性器の象徴である滝(那智の滝)を信仰するのはつまり、子孫繁栄と生命力を願うものである。
現在とは比べ物にならない平均寿命、出生率、生存率などを、祈ることでしか頼る術がなかった時代からはじまっているのである。
これくらいの表現ならば、田丸さんが聞いていても不快には思わなかったかもしれない。
しかし、小心者が避けてしまったのである。
イ氏はおそらく、こちらの方を求めていたに違いない。 この年齢で何を躊躇しているのか、と苦笑いしてしまう。
「まだ台風被害がすごいらしいねぇ。あなたが行くとこは、これから気を付けなくちゃね」
イ氏が話を蒸し返す。
しかし、逆である。 何か起こる前に、わたしは本能で行く先を選んでいるに違いない。
行くべきとこへ、行くべきときに、行っているということでもあるのかもしれない。
「出かける前に、ちゃんと行く先をお知らせすることにします」
よろしくね、とイ氏は笑う。
「俺は、「災いを呼ぶ男」「凶運の持ち主」なんて人には呼ばれちゃいるが、つまりは、ただ者じゃあないってことさ!」
「なにせ、生まれたばかりの俺の手には玉石が……」
握られていたわけがない、わたしである。
わたしは追っ手をまくように、(ルードの)大森へと急ぎ足で向かったのである。
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