2012年08月14日(火) |
特別阿保列車〜阿波編〜 |
四国三日目は、ついに「阿波おどり」である。
とっくのとうに「よさこい」にこころを奪われてしまっているわたしには、「阿波おどり」をたかをくくって見ているところがあったのである。
東京でも「高円寺阿波おどり」が有名だが、あいにく観に行ったことはない。 「神楽坂祭り」で、ギンレイのついでにちょいと阿波おどりに遭遇したことがあった程度である。
しかし、さだまさし原作の映画「眉山」を観たときに、本場の阿波おどりを一度観てみたいと思ったのである。
しかし、「よさこい祭り」と「阿波おどり」は日程がだいたい重なっているので、なかなか訪れる機会がなかったのである。
演舞場がある徳島市内に宿がとれなかったので、香川は讃岐の高松駅前に宿を確保した。 特急で一時間ちょいとでゆけるので、なかなか悪くはない環境である。
「阿波おどり」は「よさこい祭り」と違って、日が落ち始める夕方からはじまる。 しかし実際には、まだまだ落ちてない五時頃からである。
朝に高知のはりまや橋からバスで高松に向かったわたしは、これは定刻通りに昼前に到着する。
昼飯は当然、決めてあった。
「釜バターうどん」
である。
今はヨーロッパでポルトガルを目指してブログ旅をしているエヴァ娘が、まだ四国一周程度ですんでいた頃に紹介された「うどん」である。
そのお店「手打ち十段 うどんバカ一代」さんを目指す。
うどんにバターひと切れと黒胡椒を散らしただけのつゆもないうどんである。
これがまた、美味かった。
以前に自宅で試してみたときは大した感想はわかなかったのだが、「バカ一代」さんで食べるこれは、まったく違う。
まさに、
「U-DON」
である。 イロモノだと見くびっていたら、損をする。
わたしはちゅるちゅると、あっという間にどんぶりの底が丸見えになってしまった。
東京へ帰ったら、もう一度挑戦してみよう。
さあ、いよいよ「阿波おどり」である。 徳島駅に着くと、なにやら雲行きがあやしくなりはじめた。 雨がポツポツと地面をたたき始めたかと思うと、一旦はすぐにやんだのである。
よしよし、と時間前からゲリラ的に出くわす「阿波おどり」を観ていたのである。
いや、本当に、踊り出すのである。
移動中や、集合しているだけかと思っていたら、チャンカチャンカ、チャンカチャンカ、と囃子がはじまり、踊りだす。
皆はもう慣れた光景、もしくは、待ちかねていたと、スムーズにわらわらと場所を開けてゆくのである。
街角でどこからともなく集まった踊り子らが踊り出す、という話は聞いていたが、まさか本当のこととは思わなかった。
油断していた。
「無敵の二拍子」
阿波おどりのポスターにあったキャッチフレーズである。
マズい。 ヤラレてしまう。
わたしは「阿波おどり」の恐ろしいまでの凄さに、ガツンと脳震盪を起こしそうになってしまった。
伝統的な型の踊りに、ただそれだけではない、呑み込まれてしまう、ほう、と感嘆の息をこぼしてしまうような、迫力、美しさ、凛々しさ、陽気さ厳かさなどが、圧倒的なリズムで押し寄せてくる。
まだ本番前だというのに、どうする。
とりあえず「眉山」にでも登って頭を冷やそう。
入り口でもある「阿波おどり会館」に逃げ込んだのである。 ロープウェーのチケットを買おうとしたそのとき。
「荒天のため、運転中止」
の札が券売機に掛けられてしまったのである。
すると、次々に踊り子らが入り口から逃げ込んでくる。 外を見ると、雷鳴、稲光、路面がけぶるほどの雨滴である。
祭りの開始まであと三十分もないというのにである。
「祭りは中止かやるのか」 「まだ連絡はないのか」
祭りの事務局とは無関係なのに、阿波おどり会館の案内嬢に詰め寄る観光客ら。
やがてあと十分となったころに、外から掛け声が次々とあがりはじめた。
ドン、ドン、パンっ ドン、パンっ
開催の花火が、曇り空に打ち上がる。
ワァァァー!
うわぁぁぁ……。
七時頃からまた雨が降りだし、わたしはさすがに高松の宿にそろそろ戻らなければ、と帰りの特急に向かったのだが。
阿波おどりはまだまだ続いているのである。
もしもお気に入りの連などを見つけてしまったら、わたしは阿波にも毎年来なければならなくなってしまう。
後ろ髪ひかれる思いを断って、高松に戻ったのである。 そして高松駅の駅前に出ると、
ドドーン、パンっ ドン、パンっ、パンっ
花火の大輪の花が夜空に咲いていたのである。
高松の花火大会のとりにちょうど行き当たったのである。 夏の風物詩、花火をこんな予想もしていなかったところで、こんな間近で見上げられるとは、なかなかよい巡り合わせである。
大輪の花が夏の夜に散ってゆく。
本物の雨と、雨のような祭りの感動に打ちつけられ続けたここまでの旅だが、なんだかもう、まだ四県のうちの二県だというのに、燃え尽きてしまったような気持ちである。
まだ、残り半分、続くのである。
|