鶴は千年、生活下手

2002年11月22日(金) 終幕

お知らせ:日記のジャンル、「テキスト」にしました。

今朝一番うれしかった情報は、「踊る大捜査線」の映画第2弾
が来年の夏に公開されるということ。
前にも書いたが、織田裕二が好きであの身のこなしがまた見ら
れるのかと思うと、とってもうれしい。
「真夜中の雨」は、2回分をまとめて観るという技(?)で、
2週間じらして一気に観るという楽しみを続けることにした。

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若いからといって、死と無縁な訳ではない。
とてもまだまだ大丈夫と思っていても、すぐ側にある死の誘い。

たとえば、姉は最初にくも膜下出血で脳外科手術を受けたのは
38歳になって2ヵ月あまりだった。
くも膜下出血といえば、血圧の高い人がなるように思っていた
から、ええっ、なんで姉ちゃんがっ!という気持ちでいっぱい
だった。
血圧が高い状態で出血していたら、助からなかったのかもしれ
ないが、姉は出血してもすぐに止まったらしく意識もあった。
それから3年半、再びくも膜下出血で手術。41歳だった。
1回目は上の子供の高校受験の年、2回目は下の子供の高校受
験の年だった。

この2回の脳外科手術の全身麻酔と術後の投薬は、姉の弱った
腎臓と肝臓にダメージを与えた。
そしてその3年半後には人工透析に踏み切り、腎臓の全摘出と
肝臓の一部摘出を行った。
姉の腎臓ではのう胞が大きくなっていて、妊婦さんのような姿
になっていたから、使わなくなった腎臓を摘出してしまうこと
で体への負担を軽くしようという試みだった。
かなりの大手術だった。
そして、半年の入院を終えて退院したと思ったら、1ヶ月半で
十二指腸潰瘍になってしまった。
痛みとかはあまりなさそうだったが、見えないところで出血し
てしまっているという事態は、人工透析しているものには死に
直結する重大事なのだそうだ。
人工透析者は、透析後4時間くらいは血が止まりにくい状態で
いなくてはならないから、知らない間に極度の貧血状態になる
ことが危ないらしい。
そして、今年の正月4日に手術をした。

こうして間近で見ていると、わたし達は年齢など関係なく死の
攻撃にさらされているのだと思ったりする。

自分が死ぬのは、たぶん、腎臓なのだろうか。
それとも、母のように脳出血で逝くのだろうか。
だが、出来れば、最後に意識が少しはあってくれたほうがいい。
なぜなら、あまりに突然の死では、夫にありがとうという間も
ないから。
きっと死ぬまで一緒にいてくれるだろう夫には、最後のお礼を
言ってから死にたいと思う。

だけど、本当は夫を見送ってからと密かに考えているわたし。
だって、わたしに先に逝かれて呆然としている夫を想像したく
ないから。たとえ呆然とはしないかもしれなくても、そういう
状況を想像したくないという、わたしのエゴ。
わたしなら、夫を見送ってもきっと耐えられると思うから。
もうすでに親を亡くしているわたし達だから、残されて悲しみ
や寂しさに耐えるのはわたしの方でいいと思うから。

 人生の終幕なんて大袈裟なことではないが君と立ちたい(市屋千鶴)


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