鶴は千年、生活下手

2002年11月24日(日) 隣の芝生

先日の東京同窓会で久しぶりに会った同期の女性。
茨城県の土浦市に住んでいる。
彼女は歯医者さん、ご主人も歯医者さん。歯医者さん夫婦。
東京同窓会の日、彼女が着ていた淡いピンクのスーツは、どう
やら生地代だけでも何万もする代物らしかった。
たまたまアパレル関係に勤務する同期がいて、そのことを教え
てもらったのだけど、わたしにはぜんぜんわからなかった。
きれいで仕立てのいいスーツだとは思っていたけど。
彼女は買物は銀座と決めているのだそうだ。
「土浦から銀座まで出てくるの?何時間もかけて?」
素直に疑問を投げかけるわたし。それも特急で行くんだよね。
「う〜ん、そうなんだけどね、やっぱりお買物は銀座でって
 思っちゃうんだよねー。」
「そっかぁ、地元には気に入ったものが無いんだね。」
なるほどと納得するわたし。
朗らかな笑い声は変わらない彼女にうれしくなる。

わたしの買物は、今はイトーヨーカドーとか通販。
大きいサイズの洋服や靴を置いてくれるお店が増えているのが
うれしい。
権行員で、新宿を経由して通勤していたころは、お気に入りの
Lサイズショップがあって、洋服にもお金を使っていた。
しかし、結婚してからなにをどうやったらこうまで変わるのか
と思うほど、洋服とかにお金が使えなくなってしまった。
夫がそういうものにあまり感心がないからだろう。
夫のものを買おうかと持ち掛けても、要らないっていわれるこ
とが多い。夫のものを買う機会が極端に少ない。
したがって、自分のものだけ買うのも申し訳ないような気がし
て、自分の洋服にかける金額も少なくなってきたようだ。
彼の贅沢はパソコン関係とパチンコくらいなのだ。
(ときどきのパチンコも勝つんならいいけどねぇ。)

結婚して変わる男と女。
夫は、少しは着るものとか履くものとかに気を使うようになっ
てくれたんだろうか。付き合い始めたころ、ほんとにこいつは
って思うくらい無頓着だったもんなぁ。
わたしも贅沢はしなくなった。(飲み代は使ってるけど。)

歯医者さん夫婦の生活をいくら羨ましいと思っても、自分がそ
の仕事をしているわけでもなければ、それまでの努力をしてき
たわけでもない。
それなりの収入の仕事にはそれなりの苦労があるのだし。
そして、銀座でなければ買物できないという生活が、わたしに
似合っているとも思えない。
わたしは、二人で歩いて買物に行き、バーミヤンやロッテリア
で食事して、一つのものを買うのにもああだこうだと考えて、
買ったときにはとてもうれしくて、という暮らし方がけっこう
気に入っている。

銀座での買物でなければ満足出来ない人と、手近なところで満
足出来る人。どちらがより幸せだとは決められない。

幸せは、なるものではなくて感じるもの。
その時々で幸せを感じることが出来る心境にあるということ。
その機会が多ければその人は幸せなのだ。
どんなに周りから恵まれている状況だと思われていても、その
中に有って幸せを感じることが出来なければそれは不幸なこと。
周りから見てどんなに恵まれない状況であっても、その中にも
小さな喜びを見出せる人は幸せなのだと思う。
そしてそれを共有できる人がいるということ。
家族であったり、恋人であったり。
そういう意味で、わたしは生家から出たときも、貧乏だったが
母と二人の暮らしはとても幸せだった。
その後のさまざまな状況を乗り越えた今、夫と二人の暮らしは
とても幸せだと言える。

まあ、目下の悩みは、図書館が遠いことと歌集が高いこと。
何処に行くのも全線JRだから電車賃がかかりすぎること。
それと、壊れるまで自分のノートPCが買い替えられないこと。

 幸せの秤はみんな違うから隣の芝生は青くてよろしい(市屋千鶴)


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市屋千鶴 [MAIL]