人の気持ちなんて、わかったような気がしていても、それは単 に推量ったいるだけのことでしかなくて、本当の所はわからな いもの。 それでも、ずっと一緒に育った兄弟姉妹や、家族のことならば 他人よりはわかりやすいのか。 そんなことは全く無くて、家族よりも親友の方がその時々の気 持ちがわかってしまうことなんていっぱいある。
ふと、父のことを思い出したのは、今朝、歯を磨いていてのこ とだった。 父が自慢だった小学生の頃、運動会の父兄の競争では足の速い 父がいつも走っていた。 父が可愛がっていたのはわたしだったと思うのだが、わたしも 姉も上京してからは、わたしにはほとんど連絡は来ない。 いつも、姉の家に電話がかかってくるんだよね。
夫を初めて会わせたときは、とてもうれしそうな父だったが、 借金の申込みをしてくる時くらいしか、父は電話をしてこない。 姪や甥が小さい頃から、孫がいるほうがやっぱりうれしいのだ ろうし、わたしは一人暮らしで帰宅が遅かったから、留守がち だったことも電話してこない理由の一つなのだろう。
が、うがった物の見方をすれば、わたしは父が愛人と失踪し、 母と借金や離婚について話合う所に、その直前まで同席してい たのだし、父の失踪によって母の次に被害を被った人間だから なのだろうとも思えるのだ。
ばつが悪いというやつ。 わたしに、田舎に戻ってこい、いい旦那様を見つけてやると、 何度も言ってはいたが、わたしは夫と結婚してしまった。 もう、わたしに用はないのだろうとも思う。
わたしは、離婚したときの父の年齢になっている。 分別はもちろんある年齢のはずだ。 もはや、父のように家族を捨ててしまうほどの恋愛をするよう な気力も情熱もない。 おそらくは、今の奥さんが父には最適な女性だったのだ。
そういう伴侶を得ることが出来たのは、幸せだったのだろう。 それも、わたし達の苦労を考えに入れなければの話だ。
恋をするには覚悟が必要だとは、日記を書き始めた頃に書いた 言葉だが、覚悟だけで突っ走るのもどうかと思い始めるこの頃。 周りのことを推量るだけの余裕も、また必要なのだと、最近に なって思うのは年を取ったからだろうか。
風向きを読めなくなった凧のように君の周りをくるくる回る (市屋千鶴)
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