鶴は千年、生活下手

2003年02月13日(木) 要〈背景〉

昨日までの3日間の日記は、我孫子市に引っ越してきた年に書い
たものだった。
短歌に作成年月を付けてあるが、何首か1998年2月作成の歌
がある。
それはわたしがニフティの短歌フォーラムに入ったころ。
ということは、とりもなおさず短歌を始めた時期ということで、
その歌たちはどうにもこうにも、ストレートを通り越して、なん
だか恥ずかしいものばかりな気がする。

それでも、最初はそんな程度でいいと思っていた。
とにかくごちゃごちゃしたものを、31文字に変換してみようと
思っていた。

その時期は、姉が2回目のくも膜下出血の手術をして退院したば
かりのころでもあった。
そして、姪っ子が高校を出て就職するので、お祝いにスーツや靴
を買ってあげたりしていた時期でもあった。
そして、夫と婚姻届を出して、3か月ほど経った頃でもあった。

わたしには、言葉にしたいことがたくさん有った。
亡母のこと、姉のこと、姉の家族のこと、夫のこと、自分のこと。
とにかく、なんでもかんでも手当りしだい短歌にしていたような
気がする。

そして、短歌を発表するだけでなく、自分で書こうとして書けな
かったものを書いてみようと思うようになった。
ある会議室の管理人をと言われた時に、短歌の批評や作品の発表
ではなく、強い思いに突き動かされるように作ってしまった短歌
を、その背景ごと書き込んでもらう場所にしようと思った。

うれしいこと、楽しいこと、悲しいこと、辛いこと、切ないこと、
悔しいこと、なんでもいいからその歌を作った背景をお話しして
もらおうと思った。

誰よりも、自分自身がそうしたかったからだと思う。
そうして、発表したのが昨日までの3日間の文章だった。
だから、1998年の短歌以外は、ほとんど2000年11月に
作成したものだ。(最後の歌は昨日作ったものだけど。)

最近では、管理人のわたし自身があまり書き込んでいないことも
あって、ちょっと静かすぎるほど静かだけど。(^^;

結局、わたしは作品としての短歌を一人前のものとして発表する
ことはまだできないのだろう。
背景があるから面白い。
今はまだ、それがわたしの短歌だ。

 あたしって精神的な露出狂?心の中をさらす快感(市屋千鶴)


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市屋千鶴 [MAIL]