鶴は千年、生活下手

2012年03月12日(月) 1年

東日本大震災から昨日で1年。
長野の震度6強から今日で1年。

地震後にもぐちゃんと2人で見ていたテレビ画面に映し出された
津波の映像は、今もはっきりと思い出される。
名取川付近をさかのぼる黒い津波の画像に、不謹慎かもしれない
が、「風の谷のナウシカ」の王蟲の大海嘯のようだと思った。
テレビの画面を見ているのに、とてもおそろしかった。

わたし個人は、50年あまり生きてきて、失ったものもたくさん
あるのだが、その大きなものはふるさとであろう。
わたしや亡き母は、自分の都合で自分からふるさとを出てきたの
だが、それでもふるさとへの思いは強い。
震災でふるさとを出なければならなくなった人の思いは、まして
や原発事故でふるさとに帰れないままになっている人々の思いは
いかほどかと思う。

失うものと得るものと、人生の中でどちらが多いのか。
わたしは健康な体は失ったが、一つの命と育てる喜びを得た。
生まれ育った家族の姉以外は全て失ったが、夫と子どもとの家庭
を得ることができた。
失ったものを、ただただ失くしたものと思っては悲しすぎるので、
せめてそのかわりに何かを得たのだと思いたい。

しかし、失くした命に替わるものなど何もないだろう。


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市屋千鶴 [MAIL]