鶴は千年、生活下手

2014年12月17日(水) 「ほどほど」の難しさ

頑張りすぎない、まじめすぎない、ほどほどが大事。
だが、そのほどほどというのがくせ者で、ほどほどは人によって
違うから、自分自身の中でしっかりとした自覚が必要だと思う。
自分ではこれくらいでいいかという基準を他人と比較してしまう
と、頑張る人ほど、まじめな人ほど、ハードルが上がってしまう。
まったくほどほどではなくなってしまうことだってあるのだ。

ほどほどには、他人にはどう見えるか分からないが、自分の中で
はこれくらいでちょうどいいのだという割り切りが大事なのかな。

「他人にはどう見えるか分からないが、」ということの裏側には、
自分は自分だからと自分を受け止めて、いい所もだめな所も一緒
に許しているのだという気持ちがある。
まさに、ありのままの自分を認めることだ。

他人から良く評価されるのは、誰だってうれしい。
しかし、他人からの評価だけに頼っていては、しんどいだけなん
じゃないかなと思う。
評価基準は一人一人異なるものだから、みんなから等しく良い評
価を受けるのは難しい。
やはり、自分なりの割り切りは必要なのだ。

息子は触覚(食感)や嗅覚が過敏である為に、給食のメニューで
食べないものが多い。
主食が白米であればいいが、混ぜご飯だとだめな確率が高い。
洋食系でも、マッシュルームがネックになって食べないことも。
だから、主食が白米でない日は、ご飯だけを持たせることにして
いる。(先生と相談した結果だ。)
昨日はピザトーストだった。
しかし、ご飯は持たせなかった。
それは、マッシュルームさえ取り除けば食べられると、そう判断
した結果なのだった。

母の願いもむなしく、ピザトーストを口にしなかったようだ。
牛乳しかとれなくて、午後は辛そうでしたと、連絡ファイルに書
かれて、母の体調が悪くてご飯が炊けなかったのだと息子は説明
したようだった。
いや、ご飯は炊けなくても、レンジでチンするご飯はあるのよ。
それを持たせればいいだけだったのだ。
ても、ピザトーストのマッシュルームくらい、取り除いて食べて
きてよと声を大にして言いたい母である。

他人からの評価は、正しい情報に基づいているとは限らないのだ。


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市屋千鶴 [MAIL]