鶴は千年、生活下手

2015年03月09日(月) 満足感

卒業シーズン。
息子は5年生なので、送る側として卒業式に出席する。
先週から卒業式の練習が始まった。
2時限を使っての体育館での練習は、結構きついのではないかと
思うが、なんとか参加できているようだ。

また、先週は個別療育の日もあり、一生懸命考えた息子である。
思いついたことを、言うべきかどうか迷っているときは表情でわ
かるのだが、どんな思いつきでも君の意見を否定したりしないか
ら言ってごらんよと促して発言できた。
ちゃんと期待通りの答えを思いついていたのだが、それは学校に
通う立場としてだめなんじゃないかと思ったようだ。
でも、それもありなんだよと、臨床心理士の先生に認められて、
ほっとした様子だった。

頑張ったり楽しんだりしたあとで、帰りにココイチを見つけた。
行ったことが無かったので、二人でチャレンジ。
普通盛りだとご飯の量が少し多いように感じたが、わたしも息子
も食べきってしまった。
息子はチーズ入りハンバーグが乗っているのを食べたのだが、す
っかり食べきって、帰りの電車で気持ち悪くなったりしないかと
なんども念を押す母であった。

大丈夫大丈夫と、最寄り駅まで帰ってきて、いつものように電車
を降りてから、通過電車を見ようとホームのベンチに座っていた。
なんと、息子が見たがっていた電車が通過した。
既存の型式のリニューアル版の車両なのだが、今のところ2編成
しか運行していないらしく、見かけるのはほんとに珍しいことな
のだった。
興奮気味の息子、目がキラキラしていた。
今日はいいことがたくさんあったと満足げであった。

初めてのココイチとか、始めた見た電車だとか。
二つくらいなのにたくさんだと感じたのは、始めた見ることがで
きた電車の満足度がすこぶる高かったということなのだろう。

たった一つのことでも、一日の行動の終わりにいいことがあると
人は満足感を得ることが出来るのかもしれない。
そういえば、息子がまだほんとに小さかった頃は、お風呂に入れ
て一日の最後に息子を寝かしつけるときが、一番ほっとする時間
であり、満足感の高い時間だったなと思う。

一日の始まりはもちろんなのだが、一日の終わりを大切にしたい
ものだ。


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市屋千鶴 [MAIL]