2005年12月03日(土) 「プラナリア」 山本文緒 |
読んだのは10月の山口行ってたとき。
仕事が一杯一杯で、よく暇作って読めたなぁ、と今では思う。
読者の私は忙殺されているのに、この作品集は「仕事しない人」を描いていたので、全く持って別次元の物語だと思った。
いつもは現代小説嫌いだから読まないのだけど、これはすんなり読み切れたのは、自分の影を投影出来ないからだろうな。
表題作の主人公は、乳ガンを患ってからの社会復帰に難航。
ろくにバイトもせず、だらだら(と私には見えた…)生活する毎日を描いてる。
そんな彼女は生まれ変わるならば、プラナリアになりたい、という。
プラナリアは知ってるが、私はなりたくないなぁ。
輪廻転生、願わくば、また人間希望。
――何もかもが面倒くさかった。
生きている事自体が面倒くさかったが、
自分で死ぬのも面倒くさかった。
これは、オビの文章。
気持ちは分からないでもない。自暴自棄になって、そういう気分になる事ある。
でも、いづれは立ち直るのが私。継続し続けるのは、主人公。
ちょっと立ち直るときもあるけれど、結局はまた無職になる。
まわりが悪いような書き方だけど、私はそっち側の人間だ。
おせっかいやくバイトのおばさんだったり、上原さんが私の立場だな。
正直、「何甘ったれた生活してんだ」と思った。
無職には無職なりの言い分があるのかもしれない。
この主人公みたく、乳ガンとかさ。
それを乗り越えて行くサクセスストーリーなら、多分読まなかったけど。
こうまでだら〜っと生活してて、結局進展も後退もなく終わっちゃって。
ちょっとむかっ腹が立った事は事実。
なにやら世間では共感を得たらしいが、共感というか、反感だな、私は。
読んだ後、何らかの感情を起こさせる、という意味では良い作品だった。
せっかくこの世に生を受けたんだから、人生謳歌したらえぇじゃないかな。
やりたいこととか、なんにもないのかなぁ、こういう人たちは。
毎日毎日、何考えて生活しているのだろう。
周りにそんな人がいないから、聞きようがない。
これを読んで一層疑問に思った。
「生きてるのがめんどくさいんだったら、死ねば」とは言わないし(言えるはずがない)「生きたくても生きられない人だっているのよ!」なんて演劇めいた台詞を吐くつもりもない。
そんなたいそうな人生送ってるつもりもないから。私も。
でも、間違っても、私はこうならないと思う。
生きてる限り、なにか目線の先に目標見つけて、そこまで足掻いて進んでくつもりだ。
なんなら、漫画で書かれる馬の如く、目の前ににんじんぶら下げて走っても良い。
それで私は満足だ。
あ、そうか、主人公はこのニート生活で満足しているのかもしれない。
以下は「あいあるあした」の浮浪少女の台詞。
あたしのこと、勝手に可愛そうだとか思わないでくれる?」
そうだよな。人それぞれ、思うところは違うからな。
…ますます口出しする事ではないな(笑)
自分の認識を人に押しつけるっつうのは、やられて具合良いものじゃないし。
こういう人たちも、世の中にはいるんだな、ってことが分かった。
別に激しい嫌悪感抱く対象ではないし、実は…憧れもあるのかもしれない。
私はそんな行動できないようになってるから。
にんじんぶら下げて走り続ける姿は、そんな人らからみたら、至極滑稽なのかもね。
でも、私はそれでいいからいいんだ。
なーんて、自己肯定で終わる。