2005年12月04日(日)  「白痴」 坂口安吾

初めてこの人の作品を読んだが…松本次郎氏がかぶった。
戦時中やら戦後、という舞台だからだなぁ、きっと。
白痴の女が出てくる点もちょっとした共通点だし。

■いずこへ
主人公の気持ちというか、自分の生き方への確固たる信念、これに恐れ入った。

「私はみすぼらしさが嫌いで、食べて生きているだけというような意識が何より我慢出来ないので、貧乏するほど浪費する」

「細く長く生きることは性来私のにくむところ…細々と毎日欠かさず食うよりは、一日で使い果たして水を飲み夜逃げに及ぶ生活の方を確信を持って指示していた」

「私は最大の豪奢快楽を欲し見つめて生きており多少の豪奢快楽でごまかすこと妥協することを好まない」

だから、宵越しの金は持たぬし、生活必需品の食器―箸ですら身辺に置かない徹底主義。
物語の本題は別のところにあるのだが、この気概、これが鮮烈。
それに比べりゃ、私は細く長く生きたいし、多少の豪奢快楽で自分だまして生きている。
真逆の生活を送る人が、この物語の中に居たよ、と敬意を表したい。


■白痴
戦争の、空襲の描写が良いなぁ、と思った。
白痴の女を泥人形の如くに表現したり、無限の誇り、と言ったり。
空っぽって、万能だな。
あと、芸術を求めているのに、認められない仕事してて、辞めてやろうかと思うが、給料は大事。
女は欲しいが、その後家庭を持つことによって、より一層自分の給料に束縛される。
「女との生活が二百円に限定され、鍋だの釜だの味噌だの米だのみんな二百円の呪文を負い、二百円の呪文に憑かれた子供が生まれ…」という、表現。
これが世の働く男性の姿を語っている気がして染み入った。
皆、何かに縛られて生きているのですよ…。


■母の上京
他作品と違って頭使わずにさらっと読めた。
オチが決まっていて爽快。


■外套と青空
これまた難解。「青鬼の褌を洗う女」に設定は似ている…かな。
女房の浮気相手を見繕う、その心境は如何に。


■わたしは海を抱きしめていたい
悲痛な夫婦に見えるが、案外満たされているのかもしれない。


■戦争と一人の女
強いね、大和撫子。
こんなチャキチャキした女性が日本の復興に尽力した…のかどうかは知らないが、珍しく、作品に登場する女性に対して好意を持った。
そして、やっぱり戦争の描写が素晴らしい。
空襲が一種の絵画かと思われるくらい。
実際、受けたら綺麗だ何だって言ってられないのだろうが。
東京が焼け野原になったこと自体、今のご時世信じられない。
なに、あの雑多なビルの数々。
一面荒野になった時代があるのがすごいよな…。
戦争ってものを人々は忘れかけていると思います。
空襲体験装置があったらいいのではないかと危ない考えに発展。
そんな空襲のさなか、焼ける街を背景に愛し合う2人…。
絵になるなぁ。映画化とかしたら、良いんじゃないのかね。
「このおうちを焼かないでちょうだい。このあなたのおうち、私のうちよ。このうちを焼きたくないのよ」
この台詞に男は打たれた訳です。

うぅむ。シメも冗談が効いてて、面白い。
この作品、一番好き。
…っていうのも、あんまりドロドロした男女関係がないからかな。


■青鬼の褌を洗う女
あー、ダメだ、こういう女。
天性の職業婦人ですね、話中の言葉を借りると。
こういう存在がむかつくのは、腹ン中ではうらやましいからだと気付いてきた今日この頃。
なんなんだ。
なんでこういう女がもてはやされるのだ!!
見目麗しいのかも知れないが、それでいいのか、世の男性諸君!?
こうやって、素敵な生活送る人も居る中、私は必死に生きています(笑)
結局、私にはなし得ない行動だから、苛立ちも尊敬も侮蔑も羨望もする。
自分と同じ行動取ってる登場人物がいたら、つまらんだろう、うん。
架空の人物に腹を立てるのも、読書にのめり込むことの醍醐味ですな(自己肯定)
でも、戦時中でも金持ちはいるもんだな…。



…後半、感想書くのもだれてきた。
この作家の描く女性像はほとんど歪んでいる、というか、嫌悪感を抱く部分が多い。
少なくとも、こう思われている部分もあるんだろうな。
描く人が描けば聖母に、また別の人が描けば夢魔の如くに。
女性って、いろんな側面を持ってるな、と思った、そんな作品集でした。




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