熟睡できぬまま早朝覚醒。
準備確認ののち荷物の整理。
隣村にいるドラ息子を迎えに行く。
10時過ぎ那須から義父も到着。
10時30分過ぎ カミさんと岳父とドラ息子の4人で出発。
お別れ会の会場、 白ゆり会館に到着。
担当のS氏、他の職員と最後の打ち合わせ。
土砂降りの中 11時25分頃から 三々五々参会者の方々が到着。
幸いなことに 大ホールでの葬儀がなく 会館全体が 我々だけで使用できる。
仏式の葬儀社だが 極力、宗教色をなくしてもらう。
祭壇、提灯など仏教色のあるものは ほとんど隠されていて見えない。
小ホールに飾られた8台の生花も 菊は使わず白百合を中心とした 清楚で明るい色調である。 (父は若いころは キリスト教会にも通っていたという。)
BGMには ロシア民謡が好きだった父のため 10月25日に聞いた CD 世界愛唱名曲アルバム3 カチューシャ…ロシアの名歌 ビクター OCD-8003 1992年 1. カチューシャ(ブランテル/国立モスクワ合唱団) 2. ともしび(ロシア民謡/国立モスクワ合唱団) 3. 赤いサラファン(ヴァルラーモフ/国立アカデミー・ロシア合唱団) 4. トロイカ(ロシア民謡/イワン・ペトロフ) 5. ポーリュシカ・ポーレ(クニッペル/アレクサンドロフ・アンサンブル) 6. カリンカ(ロシア民謡/J.テレンコワ、V.ロドウケヴィッチ) 7. 行商人(不詳/イワン・ゴズロフスキー) 8. ステンカ・ラージン(ロシア民謡/アレクサンドロフ・アンサンブル) 9. 黒い瞳の(ロシア民謡/J.テレンコワ) 10. 仕事の歌(ロシア民謡/A.オブラツォフ) 11. 母なるヴォルガを下りて(ロシア民謡/国立アカデミー・ロシア合唱団) 12. モスクワ郊外の夕べ(セドーイ/I.オルデノフ) 13. アムール河の波(キュッス/ソビエト国立室内合唱団) 14. 黒い瞳(ジプシー民謡/ソビエト国立室内合唱団) 15. バイカル湖のほとり(ロシア民謡/ソビエト国立室内合唱団) 16. ヴォルガの舟唄(ロシア民謡/アレクサンドロフ・アンサンブル) を散会までずっと繰り返し流した。
早めにいらしたお客様には ロビーに展示してある 大小数々の父の写真、 愛読紙、愛読書、日記・遺言書のコピーなどの 展示を観ていただく。
神奈川から来る父の姪 (Nandatte Cantabileの従姉)から 遅刻の連絡。
お別れ会 会場:白ゆり会館小ホール、ロビー。 開始:12時
白ゆり会館のS氏の案内で 全員、小ホールに入場。
葬儀の司会を専門にしている Nさんの司会で開式。
全日本年金者組合栃木支部のH氏の 感動的な挨拶(いわゆる弔辞にあたる)のあと Nandatte Cantabileから順に カーネーションの献花。
全員が献花を終わり 長男であるNandatte Cantabileが謝辞を述べて 予定より5分遅れで式終了。
続いて食事室に移動していただき 食事会。
20人ほどの質素な会を予定していたが 案内状を差し上げた方から伝え聞いて 参加を申し込まれた方々や 当日の朝、参加を表明する人たちもあり 結局、総勢30数名の集まりになる。
全員着席の後 Nandatte Cantabileが献杯の辞を述べて献杯。 晩年、認知症の進行とともに 精神症状のひとつである 性格の先鋭化が目立ち 同志や後輩たちにも攻撃的になり 礼を欠き、不愉快な思いをさせてしまったことを 故人にかわりお詫びし ご容赦を願う。
粗餐が始まり 10分ほどお酌をして回ったあと 市議会議員のIさんから一人一言 1分間で自己紹介と父との関係などを 述べていただく。
予定を大幅に超える人数となり 一人で3分5分と話してくださる方もあり 多少の時間の遅延は覚悟する。
日中友好協会栃木県支部など 長年お付き合いのあった方々からは 心のこもったお話をいただく。
父が近くの中学を回り 中国での悲惨な戦争体験を 戦争の語り部として 繰り返し話していたころ たまたまPTA会長だったという Nandatte Cantabileと同年代と思われる Yさんは上品で つつましやかな話しぶりながら 父の戦争体験を聴いて 心を強く動かされ 子どもたちを 絶対に戦場に送り出してはいけないと 決意され のちに下野九条の会に参加されたことなどを 涙ながらに語られ会場の感動を誘った。
山梨、神奈川、東京などから来た 父の弟、甥、姪たちは帰りの時刻の都合もあり Nandatte Cantabileの従姉妹たちは 涙が止まらないのでしゃべれないとのことで 父の兄弟姉妹で唯一存命の叔父が 代表して最後に挨拶を述べた。
14時からは近くで 下野九条の会の例会もあり 予定より10分遅れの 13時40分に散会。
外は土砂降りだった雨もやみ 晴れ間がのぞいていた。
お土産には カミさんの発案でカステラ そして父の好きだった ロシア民謡のCDなどを 差し上げた。
親戚など思想的背景の薄い方々には ロシア民謡、 父の同志たちや民主団体の方々には 労働歌やきたがわてつのCDなど お客様に合わせて選択した。




CDはすべて 音楽センターの制作、発売したものである。
すべてお客様がお帰りになったあと 大量に余った 海鮮やきそば、サンドイッチ、寿司、フルーツなどを カミさんとドラ息子と義父の4人で食べる。
無宗教のお別れ会のプロデュースは初めてという 白ゆり会館のS氏も 良い会でしたねと言う。
すべてを片付け 15時半近く家に引き上げる。
16時 那須へ帰る岳父を送ったあと どっと疲れが出て カミさんの勧めで しばらく寝室で横になる。
目が覚めたのは20時ころ。
11月4日父の死後 躁転し浮足立ち、空回り状態の続いた Nandatte Cantabileだったが 両サイドに暗黒の深い淵があり 高速で走っていないと 倒れてしまう自転車のように 虚無感、喪失感、虚脱感の淵に吸い込まれそうで 普段以上に行為心迫状態の Nandatte Cantabileであった。
カミさんの的確な指示、命令がなければ 今日のお別れ会など 全くできなかったであろう。
いつもながらきびしい わが杖と鞭である カミさんに感謝。。。
お別れ会の準備に奔走した半月であったが 父の部屋の片づけや 数多くの事務処理が 迫っている。
ともかくお別れ会が 父の望み通り行われたと思い 安堵している。
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