お雛様を飾ったから見にこい。 親からのメール。(^^; そんな暇ない。
実は、我が家のお雛様、私とほぼ同じ年齢である。 というのも、姉が生まれた時、さほど豊かではなかったから、買わなかった。 でも、次も女の子だったから、やっぱり買おうか? となったらしい。 誤解のないように言っておくけれど、我が家が貧乏……というより、当時は皆、貧乏だったのだと、私は思っている。
かくして私が物心ついた時には、この時期7段飾りの立派なお雛様があった。 今のお雛様と違うところは、このお雛様、扇ですっかり顔が見えなくなるということ。 実に嫁入り箱入り……なのだが、背の低い子供の頃は、出す時としまう時しか顔が見えない花嫁さんであった。奥ゆかしいというべきか……。
さらに、五人囃子の一人の顔が傷物であった。 理由が、母曰く「ねずみにかじられた」である。 そういえば、小さい頃、よくねずみが家の中を走りまわっていた。
最大の大きな特徴は、嫁入り道具が一切ないことである。 飾り見本の図には、下から2段目に箪笥など飾ることになっているのだが、我が家の場合、1段まるまるあまってお料理を上げたり、私が座っていたりした。
図にあるのになぜない??? 幼い時からの疑問だった。 「引越の時になくなった」というのが母の説明だった。 そう聞くたびに、幼い私は失われた嫁入り道具に想いをはせたものだった。
ところがそれはウソだった。 大人になったとある節句に本当のことを知ってしまった。 昭和の半ばは、まだ皆貧乏で、7段飾りを飾る家などなかったのだ。 この贅沢なお雛様は、両親が無理して買ったものだった。デパートなんかではなく、どこかの購買で……。 残念ながら、すべてを買うゆとりはなく、泣く泣く嫁入り道具を諦めたのだった。 そのうち、買えると思っていたが、結局買う機会を失ってしまった。
「マンションでクローゼットついているから、桐の箪笥なんてじゃまなだけだよ」 そう言って、私は嫁入り箪笥を買ってもらわなかった。 買いそびれたお雛様の嫁入り道具ではないだろうが、母が残念そうにしていたのが目に浮かぶ。
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