三つ並んだガラスのコップに、母が1mmの狂いもなくジュースを注ぐ。 なのに、それを分ける時はやっぱり姉妹で喧嘩になる。 最後には、「私のほうがお姉さんなのに、どうして同じ量なの?」などと、長女がふくれる。栗を分ける時も、数では決まらない。最後は秤で計る始末。 子供の頃は、つくづく貧しかったのだなぁと思う。 いや、経済的というよりも、心が……(^ー^; せっかく計ってわけた栗が虫食いだったりすると、妹が一つ小さなところをくれたりする。その反対だと、私は知らんぷりだった。 食べ物競争に勝つためには、誰より先に好きなものに手を出すこと。私はいまだに意地汚い。1mmのジュースで争わなければならない時代はすぎたというのに。 美味しいものは姉妹3人で分けましょう……という、豊かな心が足りなかった。
「あなたは何年働いているの? それでそんな稼ぎ? バカバカしい。このビジネスを一緒にやったら、たちまちその倍は稼げて、夢をかなえることが出きるんだ」 なぜかものすごく腹立たしかった。くだらない人だと思った。 しかし、年下の男が誘ったそのビジネスは、私のまわりに蔓延した。 ハヤリ病のように、みんなそのビジネスにはまってゆく。 今、思ったことがすぐに叶う。夢をかなえることが出きる。 みんな何かにとりつかれたみたいに、夢を見始める。 いい服を着て歩く。ほしい車がすぐに手に入る。幸せになれる。 ビジネスの成功が金。金があれば夢が叶うと信じている。
昨日、TVでとある変わった人事制度のサービス業を紹介していた。 仕事が認められれば、アルバイトから正社員になれ、店長にもなれる。稼ぎもあがる。しかし、評価されないと正社員からアルバイトへ、そして首を切られてしまう。やったらやっただけ報われる……。地位も報酬ももらえるというわけだ。 でも、これじゃあ心休まる暇はなさそうだ。人間すべてが金で計られてしまいそう。
お金はいっぱいあったほうがいいに決まっている。 地位や名誉もあったほうがいい。でも、それが夢をかなえることイコールではない。 お金は使える暇がなければいけないし、地位や名誉は面倒くさいこともある。 仕事が私にくれるものはけしてお金だけじゃないし、金で買える夢は少ない。 心安らかで、幸せだぁ……と思えるほど、贅沢な生き方はない。 心貧しいところもあるけれど、とても贅沢に生きていますよ。私。
たとえば…… 500円の赤ワインをダンナ様に注いでもらって、二人でチビチビ飲みながら、語りあうような贅沢。雪印の生ハムがあったら、すごい特別! 私の給料の10倍もらっている人だって、こんな贅沢はできないと思う。 (^^)……つまり、のろけているのです。
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