「エーデムリング物語」が「指輪物語」の影響を受けていることは、あとがきなどでも述べてきました。 でも「エーデムリング物語」を読んだ人は、えーーーーどこが??? と、思われる人の方が多いでしょうね。(^^; エルフもドワーフも出てきませんし、絶対的悪の存在もありませんし……。
指輪物語を読んだときに一番最初に感じたことは「保守的」 ある意味、衝撃的なほど。 「力のある指輪を捨てなければ……」 この設定は、私のイメージした西洋の方には持ちえない発想だと思いました。むしろ、仏教的というか……。 すべてを統べる指輪は、自分の分を越えた力を持つという事。 それは悪であり、捨て去ることで、この世は救われるのですよ……。 一種、がむしゃらに力だけを正義とする現代社会への風刺のような感じすらしました。
その指輪を利用して、さらにいい世界を作ればいい…… 自分がその世界を作ってみせる。指輪の力を使って! そのような欲望に囚われても、当たり前のことのような気がします。 ボロミアの希望は間違っていたでしょうか? 摂政は摂政……王は王……。 この言葉は,とっても絶望的な言葉です。 人間,生まれによって,生き方がすべて決められているかのようです。 血筋が人を左右する。それはある程度,真実……。 それを乗り越えて、さらに高みを目指すことは、今の世の中むしろえらいことです。
「あなたは,あなたらしく生きればいい。それはエーデムの王という生き方ではないのか?」 メルロイがセリスに言った言葉なのですが、これは指輪の誘惑みたいなモノです。 だって、セリスは摂政ですから。(^^;
……しかし……思い返せば、メルロイって人間出来ているやつだよなぁ。 彼が指輪を持っていたとしても、あっけらかんとして捨てちゃいそうだ。
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