2002年03月28日(木) |
私、私たち、みなさん、あなた |
「みんなって、誰がみんななんだよ! 誰々なのか言ってごらん」 喧嘩すると、口ではかなわないです。(^^; ダンナさまには。 「だって、みんなそう言っているよ!」 などと言ったものなら、この切り返し。 「そんな責任の所在もはっきりしない人の意見など、参考にするんじゃない」
日本人は、多数決に弱いのか、みんなの意見に弱いみたいです。 自分の意見を通したいけれど、説得力のない時など、 「でも、それじゃあみんなが納得しない」とか、 「みんながそう言っているから」とか、言う人って結構いる。 でも、本当はそれって自分の意見なんだよね? (^^; 一人でも賛同した人、もしくはしそうな人がいたら、みんなの意見にしてしまう。 すると不思議なことに、みんなの意見ならば……と、まわりは納得してしまう。 意見の責任の所在はあいまい。 みんなが言ったけれど、私は言っていないなどと、ひっくり返すことが出来ます。
そういえば、日本語は主語をあいまいにすることが多いようです。 私もそれに慣れきっている。 指輪のファンサイトで、アラゴルンとボロミアのことを述べている人がいまして、その人が英語堪能な方らしいのですが、英語で、アラゴルンが「我々の」と言っていることに、非常に注目していました。 私でもなく、あなたでもない「我々」を使うことは、二人の間に深い絆が出来ている現われだと述べておられます。 いやーーー本当に目からうろこ。その通りだわさ。
言葉というものは文化や思想までも伝えるものですねぇ……。 ただ直訳しても、このニュアンスは我々日本人にはわかりにくいかも???
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