カタルシス
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2002年10月04日(金)  じっ てん よん 

昨日・今日・明日の3日間で 渋谷発の音楽イベント『in The City Japan 2002』が開催中だ。昨日はローザ・パークスが出ていたし、今日はスプリングベルが、明日はオーノキヨフミくんや千綿ヒデノリさんなんかが出演すると知っていたが スプリングベル1本に絞ることにした。

会場はBOXX、egg-site、TAKE OFF 7の3箇所を使ってニューカマーのエントリーがされ、名の知れたアーティストはAXや渋谷プラザを使用する。
スプリングベルはegg-siteのタイムテーブルに名が記されていた。

イベントなので演奏の時間はごくわずかしかない。ギリギリまで今日の参加を考えていたのだが、7日が誕生日の春山さんに何か渡すなら 日程的にも 機会的にも 今日が最適だろうと考えて、渋谷の街に繰り出すことにした。egg-siteは控室が狭いそうだし、イベントで出演者も多いから すぐに外に出てくるだろう。出入口が1箇所しかないから外で待っていれば確実に会えるハズ。
最近スプリングベルの時はライブ後に話をする機会が全然なかったので半ば賭けのような気分だった。会うことができればプレゼントを渡す間くらいはくれるだろうし、普段の差し入れとは違うのだから このくらい直接渡させて欲しい。
そう考えたのだった。

案の定 演奏はテーマを含めて3曲のみだった。うーわー… あっという間って本当そんな感じ。これで持ってきた品が渡せなかったら きっとヘコむだろうなぁ自分(苦笑)
タイミングを逃してはイカンと思い、次のアーティストが出てくる前に会場の外に出て待機する。台風が去ったばかりの所為か10月に入ったというのに今夜はやたらと蒸し暑い。

待つこと数分。

彼らはすぐに出てきた。あんまりにもアッサリ出てきたので、逆に拍子抜けしてしまう。螺旋階段を上りきった辺り 上階のブティックの前に腰を降ろしていた私は友人と並んで彼らにパタパタと手を振った。
座ったままの私たちに彼らの方が近づいて来てくれたので、春山さんにはプレゼントを、鈴木さんにはライブの直前に買ったプチケーキと皆さん宛のお菓子を手渡すことができた。事務所が近いからこの後持って行くかな?とか思って。

「春山さん7日お誕生日だから持ってきました」
「サンキュー」と受け取り中を少しのぞいて「何かスゲー…」と言っていた。OI-MENのシックな黒いハードボックスに細い赤リボンが1本通してあるだけの大人しいラッピングだったんだけどな(苦笑)
そうそう、それから じゃがいもクッキーも入れてあったっけ(不本意なしっとり系)

「スーさんにはこっちを。横にしたり振り回したりしないでね。」
「なんで?」
「したいの?」
「いや、別に。」
「しても良いけど ぐちゃぐちゃになっちゃうよ」
「わかった」
ババロアとかムースとかいった涼菓を選んできたので「生モノだから早めに食べてね」と付け加えた。

我々とのやり取りがひとしきり終わると、他のグループの子達が2人を取り巻きに集まってきた。歩道の向こうに移動する背中を見送りながら“接触終了”のチャイムが頭の中でコロン、と鳴った。

渡したいものを直接渡せたことで本日の目的はすべからく完了。


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話は変って10.4の話。

今日はブルームが1万人ライブを達成した記念の日でした。
99年10月4日(月)にロシアから帰国してまず初めに立った大舞台
日本武道館。
以後、この日には毎年記念のイベントをすると彼らは宣言し、2000年・2001年と実行してきましたが、今年は何もありませんでした。

夏のソロライブの際、10.4の知らせが何もないのを不審に思って スタッフ(というか元マネージャー)に「10.4はどうなっているんですか?」と尋ねてみたところ、
「今年はないんですー」
との返事。
質問をしたのは私だったけれど、その場に居合わせたファンの人達が一斉に
「え、何もないの?!」
と驚きの声をあげました。

そのくらいファンにとっても特別な日なのです。

その様子を見ながら私は去年のことを思い出していました。
去年は10.4があるにはあったのですが、秋のツアーの最終日に当たっていました。
つまり、通常のライブの延長です。
個人的にはツアーと10.4は別のものにして欲しかったな、と思い 残念に感じたのを覚えています。
それを考えると ちゃんとした意味で『特別』だったのは2000年の1回だけだったということになり、彼らにとっての10.4てどの程度のものなのだろう?と疑問にさえ思ってしまうのでした。

別にこの日を記念日にする必要があった訳ではありません。
私自身はハッキリ言ってどうでも良いと思っていました。
けれど、彼らが自ら『記念日』にしたのです。この日を忘れないために、毎年思い出して肝に銘じる為に と。
その心意気を汲んで『記念日』と認めたに過ぎなかったのです。

しかし、その言い出しっぺが 我々の気持ちを置き去りにしました。
理由は色々あるのだろうと思いますが、こちらから尋ねるまで何の挨拶もなかった訳ですから 良い気分でないのは当然です。

少なからずショックでした。

急にバカバカしくなりました。

何かが静かに冷めていくようでした。

こんな些細なことからでも 気持ちは崩れてゆくのです。

来年は一体 どうするつもりかな… と冷笑さえ浮かべてしまうのでした。






あの日 勇んで築きあげた城の壁は
今では潤されることなく乾いていく一方で
少しの風にさえ角を落とし 粒をこぼします
どんどん乾いて 乾いて 乾いて
全てが砂に戻ってしまうまで乾きつづけてしまうのではないかと
だたそれだけが気がかりで

サラサラになった心が
置き去りにされた淋しさに

泣いているようでした


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