カタルシス
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2003年11月13日(木)  耳に残るは君の歌声 

いつも通りの微音ラジオに 聞きなれた懐かしい音を拾った
反射的にボリュームを上げて確認する

間違いない『大地賛頌』だ

だいぶアレンジされた風変わりな曲風だったのでJ-WEVEのサイトでチェックしてみたら“「大地賛頌」PE'Z”と記されていた PE'Z?音楽家か何かだろうか…

『大地賛頌』は中学生の時分に合唱用に習った曲で 毎年合唱コンクールで最上級生が歌う課題曲として 私の在学中も妹の在学中も常に君臨してきた曲だった

三年間の中学校生活中 3年生のクラス分の発表を聞いていただけでなく その練習中の歌声も幾度となく耳にし 更には最上級生となった年に自ら何度も何度も歌い続けた曲である

私が中学に通っていた頃の音楽教師が やたらと合唱の好きな人だったためか 催事の度に何かしらの歌を歌わされていた こんな言い方をすると強制的に嫌々していたように思われそうだが 私個人は歌うのが好きだったし 我々の学年は男子も女子も真面目にちゃんと歌う生徒が揃っていたので いざ合唱となれば中学生と侮れぬほど見事なハーモニーを奏でるのが 学年の小さな誇りでもあった

毎年秋に行われる合唱コンクールでは 学年毎に課題曲が1曲とクラス毎に違う自由曲1曲の 2曲を全てのクラスが披露する 学年によって当たり外れが微妙に出てはいたものの 面倒くさがって声を出さない不真面目な生徒は驚くほど少なく “やるとなったら一番になってやる”とでも言いた気な若年の集団によくある負けん気根性を剥き出しにして 思い返せば信じられないほど健全に 笑ってしまうほど真剣に 早朝や放課後の練習に取り組んでいた当時の自分を思い出す

そしてそのコンクールでも 催事の余興でも 指揮や伴奏は生徒の役割となっていて 当時 少しばかりピアノが弾けた私は 音大を目指して日々何時間も練習しているような この上なくピアノの上手な生徒に混じって 催事の際の数曲を担当する“伴奏者”をしていた

「今度の○○集会ではこの曲とこの曲を歌います」などと先生からのお達しを受けては 「うわ 私の担当曲だ(汗)」と慌てて自宅で練習をしておく なんてちょっぴりスリリングな日々を3年間送っていたのだ

中でも『大地賛頌』は難易度的にはそれほどではないのに荘厳で聴き栄えのする伴奏だったし 毎年最上級生が 合唱を続けていた三年間の締めくくりに歌う 一種憧れの曲でもあった
晴れて最上級生となった年 私は自由曲の伴奏者に指名されたので課題曲であるこの曲を人前で弾くことはなかったが 合唱のために譜面が配られた日から こっそり自宅で練習を重ね そのうちそらでも弾けるまでになっていた 今でももしかしたら手が覚えているかも知れないが もう長いことピアノに触れていないので思うように指が動かない可能性の方が高そうだ(苦笑)

伴奏のための曲だが 合唱の声が乗らなくても充分完成された「曲」だった
そのくらいの思い入れがある1曲なのだ

同じ中学を出た者であればおそらく 今でも自分のパートを諳んじているのではないかと思うが 他所でその曲の名を旋律を 耳にすることはなかった 全くと言っていいほどになかった だから今こうしてラジオから流れているメロディを俄かに信じることができずに暫時呆けてしまった自分の マヌケな反応を思うと少々口が歪む

もう一度あんな風に合唱がしてみたい
カラオケやライブとは別種の 音楽の楽しみ方
人の声が見事な調和を果たした時の満足感や充足感は 今時そうそう感じ取れるものではない
ましてそれが 自分が発した声によるものであったなら 指が爪弾く旋律であったなら その感慨はいかほどのものだろうかと
それを知っていたハズの体躯に問うてはみたが


何しろ古い話で思い出せそうがない



映画の話じゃなくてすんません(苦笑)

『耳に残るは君の歌声』2000年/イギリス・フランス


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