久しぶりに「言霊」という言葉をきいた この言葉には、魂が宿っているから真実みがある 魂は、ふらふらなんてしやしない 言葉という絹衣をまとい、さやさやとうごきまわる わたしの口をついてこぼれだしてくる言の葉が 命を得るとき言霊になるのだ それはきれい事ではかたずけられないときもあり 悲しみの泉に身をしずめるようなときもある けれど、ひとたび陽のひかりをうけたならば 体中の血管をかけめぐる血潮のように 暖かみを帯びた命の輝きがかけのぼっていく それは、たかいたかいあの場所をめざすように 「言霊」にわたしが願うのは おだやかな一時のしずけさであり 解きほぐされていく命火なのだ 明日はどうなるかわからないから いとおしさもひとしおであり 明日が読めないからこそ抱きしめるのだ 精一杯に今を輝き 真剣に向き合うとき 言霊は神秘の光りを放つ その一筋の光りの束に包まれて わたしたちは生きている 魂の叫びに耳をかたむけ 自分をみうしなわないでいることが大事だ あの人がどう思おうが この人がなにを言おうが 我が胸に宿した「言霊」が真実だけをみつめているのだから なにも臆することなどないのである 信じた道をただひたむきに、ひたすらつきすすめむとき わたしにとっての平安は訪れる 今を生きること 自分の信じるままに生きること だれの為でもない、自分自身の命の為に 言葉が魂をもちわたしの身内に宿るとき わたしがわたしでありつづけられる それこそが【自分が主役】といえるのではないだろうか
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