ひげのお兄さんの日記

2005年01月03日(月) 剃ってみました

元日の「新年のつどい」出席後の飲み会を
終えて、12年間生やしていた髭を剃ってみました。
何故、剃ったかというと、そもそも何故生やしたかに
遡らなければなりません。
12年前に私は勤めていたJRを退職し、ボクシングジムの
経営と、父親の建設業の手伝いと二足の草鞋を履きながらの
新しい生活をスタートさせました。
退職して間もなくして行った散髪屋さんの友人が、
不精にしてた私の髭を見て「のばすの?」って聞いたんです。
私はそれまでの勤め人としての窮屈さからの開放感から
チョット不精になっていたのですが、その時はまだ、伸ばすかどうかは
決めてませんでした。「2週間ほど我慢してみなよ!」っていう軽い
ノリでポンと進められて、「剃るのはいつでもそれるんだから、
試してみりゃいいじゃん」と言う事で、とにかく先ず、2週間の
ムズムズを我慢しながら検討する事としました。
結果、2週間後に散髪屋のマスターに続行を表明。以後12年間生やし
てきたわけです。
一見、軽いノリでスタートした感じでしたが、ジックリ当事の精神状況から
思い浮かべると、大きく二つの理由があったと思います。
ひとつは、先ほども触れましたが、大きな組織を離れ、実力本位で
自分次第の仕事に変わった事から来る開放感、「やりたいようにやる」
という自由を感じていたから。(結果、生やしてからは余計手入れが
面倒になったのですが、それはさておき)
二つ目の精神的背景は、会社組織を離れ、自力で生きていく事への様々な
不安に対し、自分を鼓舞し、様々な海千山千の相手に気負いしない事、
逆にその風体のインパクトを強めて武器にするような、そんな不安な自分に対する戦うアイテムのひとつとしての有効性を求めたのだろうと
思います。
戦国時代の鎧にまつわる話とか、格闘技での外見とパフォーマンスも
その一種ですね。外見で主導権争いに負けないといった類の使い方です。
当事、深くは考えず進められるままにのばしはじめたのですが、
当時私の精神的な背景は、そんなものだったと思います。
12年たった今、いろんな意味で、自分の「原点」からの再構築を
しようと考えています。今の仕事のスタート時のことではなく、
もっと深い意味での「原点」です。
今日まで、お世話になった人たちに報いるのは、とにもかくにも
仕事での頑張りと結果だと考えて、批判も受けながら突っ走ってきました。
かつての仕事では、結果に対してゼロか100の二者択一のような
原則論で判断し、行動してたのですが、今は、目標の実現のために、
現実路線で一歩でも進む。それが負託に対する責任と思って今日までの
約6年間をやってきましたが、古いタイプの方たちからは批判も随分
受けています。
100%の人を納得させる事は無理としても、どうやら私は「手法論」の
域を出ていなかったようで、「やり方」の違いからの不信感や軋轢を
引き起こした原因はこちらにも多いと自己反省しているところです。
もう一度原点に立ち返り、「何のために」「誰のために」プライベートも
時間もお金も犠牲にしながら今の仕事をするのかという「大義」に基づく
「行動派」である事が肝心で、その人格的ベースは「武道」という
私の人間性としての土台もブレない様に、堂々と、ありのままで、
自分の気持ちに嘘はつかず、前向きな行動で行きたいと思います。
そんな新年の決意を持った私、髭の力に頼らず、というか、髭があることに特別な意味や効能が感じられなくなってきました。
心機一転、やってみたい。
この2日間、親戚たちが随分来たのですが、帰り際にこちらから言わないと
気づかなかったですね。
もし、髭があった方がいいという方は、ご意見でも
メールでも下さい。客観的に考えられる髭の効果も是非、評価は
しておきたいですから。


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