昨日から地元紙に連載記事が載っています。 昨日の記事には、「やくも」の列車運行での 優先性とそれに伴う作業実体。 事故原因・事故回避についての考察では 「正確性」神話にもとづく職場意識のなかで 「自分の身は自分で守る」という根本がなければ 職場の信頼関係が仇になる場合があるという事や 「マニュアル」を守れという事だけではダメ。という ような事でした。今日の記事では、逆に「マニュアル」を 守っていれば事故は起きない。というのと、 世代に格差が生じて、技術継承や「勘」が養われて いない。みたいな論調。何れも「元社員」からの 取材を基にしたもののようです。 ここいらへんで私の見解も少し述べてみたいと思います。 実は私、約17年ほど前に、ほぼ同じ場所で同じ時間帯の やくも号に、ほぼ同じパターンで事故に遭い、間一髪で 生き延びた人間で、作業員の状況も何となく推測できます。 私の考えは、昨日の方が近いですね。 確かに職場経験で養う「勘」は必要だし随分役立ちます。 しかし、それは作業にかかわることであって、安全に関しては 「勘」をあてにしないやり方でなければ危険です。 「マニュアル」通りにすれば事故は起きないというのは 当たり前の話で、いくら優れた「マニュアル」があっても 様々な要因の変化に影響される鉄道特有の現場だからこそ ヒューマンエラーが起きる可能性があるわけで、それを 如何に防ぐかの2重3重のチェック体制が必要だと 私は思います。そして何より「命」の重みを一人一人が もっと強く自覚している事と自分の身は自分で守る意識が 無ければならないと私は思います。 「絵に描いた餅」にならない安全体勢の再構築となるよう 願っています。
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