Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2002年02月19日(火) 試験の合間

今日は、たまたま試験が1つもなかった。
本当は1つ、線形代数の試験があったのだが、
授業に全然出ていないので試験を受けても無駄だ、と判断し、
行かないことにした。
というよりも、今日そんな試験を受けて、
夜に家庭教師をやったら、
朝、一限の講義なんて受けられない。
ちなみに、他課程の線形代数なので、
もしちゃんと履修したとしても、交渉しなければ
単位取得は難しいだろう。
交渉して単位を取得できたという話は聞いたのだが、
単位を取るために教官と交渉、なんてやりたくはない。
必修だが、そうまでして単位が欲しいとも思わない。
例えそれで大学を卒業できなかったとしても知ったことか。
プライドはないが、面倒くさいのはごめんだ。

だいたい、こんな風に文章が攻撃的になる日は疲れている。
日記を書くと、自分のことがよく分かるので非常にいい。
ただ、分かったところでなんの解決にもならないし、
得られるものも特にないのだが。
どうせ寝て起きれば関係ないのだから…。

僕は非常にプラス思考で行動しているつもりなのだが、
他の人にはマイナス思考だと言われることがある。
「どうせ」とか「結局」とか、そういう言葉遣いをするから
マイナス思考だと言うのだが、
人間には自ずから限界というものがある。
人間の可能性が無限大ということには、
あまりある時間と強靱な精神が伴う。これが最低の条件だ。
それに恵まれた環境、本人の資質や能力が加わる。
さらに運がなければ以上のすべてが備わった人間でも
人生の落伍者として生きるしか道はあるまい。
これはプラス思考とかマイナス思考とか言う以前の問題だ。
例えプラス思考だろうがマイナス思考だろうが、
新聞などの情報を見る限り、
世の中にはそういう人間が確実に存在する。
ほとんどの人間は失敗した人間であり、
成功者と呼ばれる人間はほんの一握りだ。
これは事実だろう。
プラス思考だろうがマイナス思考だろうが、
事実は決して曲げることはできない。
哲学や理論は事実を優越してはなるまい。
ただ科学論によると、理論が事実の見え方を変えることはあるようだが。

で、事実をいかに捉えるか、ということが重要になる。
ここから先に思考法の考え方が出てくるわけだ。
冷静に捉えれば悲観的にならざるを得ない世の中だが、
いいところを見れば決して悪くはない。
努力をしない人間だって報われているし、
致命的な理不尽はそれほど存在しない。
致命的でない理不尽なら無数に存在するが、
その辺はプラス思考なのだから、気にしなければいいだろう。

服装のことを言われたのだが、
センスのない人間が努力をしても
他人から見たらお粗末な格好しかできないということも、
主観の問題ではっきりとはしないが、僕の知る限りでは事実と言っていい。
そもそも、服にお金をかけるという発想がないのに
ファッションのことを考えろ、ということに無理がある。
なんでも、そのせいで損をすることが必ずある、
というのが友人の主張なのだが、
おそらく服にまともに投資すれば、そんな損をはるかに超える金額になるだろう。
金額に換算できないような大きな損をするとは思えない。
金に代えられない事柄は決して金額で考えるべきではないが、
この問題がそうとは考えられない。
要するに、主観で判断して「気にくわない」と言っているような気がしてならないのだ。

つきあう友人が悪いのか、
僕はこのように服装に関して指摘されることが非常に多い。
街を歩いていて後ろ指を指されるような格好ではないのに、だ。
もちろん、僕だけではなく、指摘してくる友人もそれは認めている。
自分だけがそう思っているのは、事実その通りということにはならないだろう。
上記のプラス思考で、僕はこのような指摘を好意から来ていると解釈している。
それは間違いではないだろうし、例え間違っていても問題はないだろう。
しかし、好意から来ているとは言え、
興味もない服に何万もの金を投資する気にはなれない。
だいたい、高価な服は自己満足のために着るものだ、というのが僕の考えだ。
この考え方を変える気は、今のところない。

他のことでもこのような考え方で行動していて、
それは、他人から見て好ましくない行動として現れることがあるようだ。
たとえば、できもしない努力はしない、ということなど…。
二十歳になるまで生活してきて、
明確でない目標のために努力することはできない、
ということを僕は認識した。
他人はともかく、僕はできない、ということは事実だ。
未来永劫変わらないとは思いたくないが、
今は少なくともそうだし、変わらなければならない必然性もない。
未来に対する漠然とした不安感では、僕は変わることはできないだろう。
ひたすら自分に暗示をかけ続け、不安感をあおれば変われるかも知れない。
しかし、それはプラス思考の人間がすることか、と思うし、
精神の不安定などマイナス要素も多そうだ。
あえてそんなことをやる必要はないだろう。

明確でない目標のために努力できないのならば、
努力しようと努力するのも無駄だ。意味を持たない。
どうせできないのだから、する必要はない。
これがマイナス思考と取られるが、できないのは上記の通り事実だ。
ならば、その時間を有効に使う方がいいだろう。
有効に使うこともできなければ、自分がいいと思うように使えばいい。

人間は常に向上心を持つべきだが、
完璧な人間になれる、と考えるのは僕の性に合わない。
思うことは悪くない。
高い目標を掲げれば、それに近づくことが大きな進歩となる。
しかし、実現不可能な目標を掲げることは
僕は個人的に気に入らない。
できないことを目標とすることは無駄に思えるのだ。
他人がするのは構わない。
尊敬するし、憧憬も抱く。しかし、自分でしようとは思わない。
ちなみに、憧憬は「しょうけい」と読むのが正式な読み方だが、
慣用的に「どうけい」も用いられる。
変換する際は「どうけい」の方が便利だ。
知っておくと何らかの得をする可能性がある。損をすることはあるまい。

量としては十分だが、気分がいいのでもう少し書くことにする。
で、いきなり変な話だが、
最近、街で見る人々のマナーが悪くなったような気がする。
たまたま僕の目に映る人にマナーの悪い人が多くなっただけの可能性もあるが、
駅のホームでたばこを吸い、駅員に注意されたら
線路にたばこの吸い殻を落とす、という人を見かけたのは初めてだ。
しかも、当然のように威嚇的な格好をしている。
例え一般的にファッションとして優れているとされていても、
僕はそのような格好をどうしても好きにはなれない。

もちろん、自分のマナーが完璧だとは思わない。
しかし、そのような人のマナーが悪いのもまた事実だろう。
注意をすべきなのかも知れないが、こういう問題は何とかならないのだろうか。
マナーを守るだけの知能がないわけではない、とするのが常識的な推論だろう。
とすると、良識が伴っていないということになる。
他人のことを考える良識を持って欲しいものだ…。

ところで、他人のことを考えるならともかく、
他人の身になって考える、ということができる人はいるのだろうか?
僕もやってみたことはあるが、立場の近い人ならばともかく、
僕とは考え方の違う人の身になって考えることなどできなかった。
そのときの僕は冷静ではなかった。
少し考えれば、できないのは当たり前だ。
脳の情報はその人固有のものであり、
自分と共通の情報はごくごくわずかだ。
しかも、そのわずかな情報も違う形で認識している可能性が大いにある。
そのような状況で、他人の身になることなど無理だ。
「自分がその人だったら」という仮定がせいぜいだろう。

しかし、僕は一般の人間よりも、価値観の違いが若干多い。
たとえば、基本的にプライドというものを持ち合わせない。
街行く人が敵意を持った視線で見てきたとしても、
それで喧嘩しようとは思わない。
他人が高価なアクセサリで着飾っていても、自分がそうしようとは思わない。
他人が必要なものには多少コストパフォーマンスを無視して投資しようと考えても、
自分は必要なものでもケチる。
この程度ならまだ良くある程度だろうが、
単位を取れなくても、卒業できなくても、試験の成績が悪くても、
それが結果ならば仕方ないとか、
他人がやることは基本的に許せるが、自分が自分のルールに沿わないことをするのは
ほとんどの場合許せないとか、そういうことはかなり違う。
この自分のルールというのも他人とは違う。
酒は飲まない、というのはよく批判されるが、
得があるとは思えないし、損も多い。
賭けも嫌いだ。賭けの期待値は、最高で100%だ。
公営ギャンブルに至っては50%程度と言う。
期待値が100%を越えるものでなければ投資をしないのは
当然の発想と自分では思うし、論理的だと思うのだが、
他の人はそうは思わないらしい。
あと、論理的な思考が好きで、感情的な思考が嫌いだ。
これは、論理的な思考を好む人、感情的な思考を好む人、
双方から批判を受ける。
感情的な思考を好む人から批判されるのは当然だが、
論理的な思考を好む人からは、その思考が不十分とされるのだ。
これは大いに反省すべき点であると考えている。
この日記は、論理的な思考の訓練のつもりでもある。
単純に、書いていて楽しい、というのもあるが。
そのため、矛盾や不十分な点があれば、是非指摘していただきたい。
もちろんそれ以外にも、ご意見、ご感想等、遠慮なく…。

ようやく満足してきた。
明日は模擬授業もあることだし、早いし、
そろそろ寝ることにするか…。

ちなみに前日のパソコンの故障だが、
筐体を開き、ハードディスクを接続し直したら直った。
原因はよく分からないが、対処法から逆に考えると、
おそらくは接触不良だろう。
接触不良が起きたそもそもの原因は不明だが、
僕はハードディスクを固定せず、遊離させた状態で使っている。
いつ接触不良が起きても不思議はない状況だ。
そのあたりが原因と推定できる。


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