Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2002年02月22日(金) もくもく

今日は、新木場のDIYショップ、
その名も「もくもく」に行ってきた。
新木場で「もくもく」なのだから、当然(?)、木材ばかりを扱っている。
だいたい店の3分の2が木材で占められているという感じで、
DIYショップと言っても東急ハンズのような店と比べると雰囲気がだいぶ違う。
ちなみに、店の感じだが、木材は安いが加工品は高い。
「感じ」と言っているのに価格の話になるのはどういう精神構造をしているのか、
自分のことながら不思議に思う。

知り合いの先輩と行ったのだが、
店中をかなり長い時間歩き回り、かなり疲れた。
にもかかわらず、今度は石材屋に行きたいと言っている。
新木場があまりに遠く、たどり着く前に力つき果てそうになっていたのに
なかなか元気な人だ。

今日はその先輩と落ち合い、
ネットゲームで哀れな子羊を20機程度撃破し、
25回くらい撃破されてから大学へと向かった。
昨日の日記に書いたとおり、レポートを提出しなければならないからだ。
ちなみに、新木場と大学はかなり近い。
根性があれば、たぶん歩いていける。自分で歩こうとは思わないが。
電車なら150円で行ける。

東京駅までは、電車内が暖房のかけすぎではあったが、
とにかく普通にたどり着くことができた。
ところが、先輩はその先の通路で体力を大きく削り取られることになってしまったのである。
ディズニーランドに行ったことのある方はご存知かと思うが、
これがかの有名な東京駅京葉線ホームへの魔の通路である。
動く歩道というエネルギーの無駄遣いの象徴が
多少その通路に挑む者を助けてくれるが、通る人間は脆弱な都会人である。
通路を通り抜け、地下深くに潜行した頃には
その少ない体力は大きく削り取られ、自らの敗北を悟るのである。

大学では、その先輩がかなりたくさんの写真を撮っていた。
大学がどんな風に写っているのか、ちょっと楽しみだ。
写真部の友人に批評してもらうのもいいかも。
ただ、逆光でも構わず撮っていたし、
かなり長い間接写モードであることに気づいていなかったりしたから、
芸術作品としてはあまり優秀ではないかも知れない。
まあ、元からそういう意図はなかったと思うが…。

しかし、大学を見物する先輩と一緒に歩いて思ったのだが、
僕は自分の行っている大学のことを本当に知らなかった。
大学構内のいろいろなところに、謎の建物、妙な石碑、
唐突に現れるトイレなど、不可思議な代物がいっぱいある。
ほぼ50メートル間隔でトイレが現れるこの大学に、
さらに隠されたトイレがあったとは…。
おそらく、学内の人間でもあのトイレの存在を知る者はそうはいないだろう。
正門から見れば見えるはずなのだが…。
ちなみに、そのトイレのすぐ近く、およそ5メートルほどのところに
もう1つトイレが存在する。
なんのためにそれほどたくさんのトイレを設置したのか…謎だ。
しかも、センター試験のシーズンにはその上さらに
たくさんの仮設トイレが設置される。
なぜにこの大学はこれほどトイレが好きなのか。謎である。

トイレが優遇されているのは、数だけではない。
その広さも、なかなかのものである。
今まで2年間この大学にいて、5人使えるトイレに5人いるところを見たことがない。
もともと人が少ない大学なのだ。
そのたくさんのトイレの中でも、図書館のトイレの広大さは特筆に値する。
概算で8畳程度の広さがあると思われる。
これほどまでに広いと、隣の女子トイレはいったいどういう構造になっているのか
かなり興味を覚える。
本来女子トイレであるべき場所まで男子トイレとなっている。それほどまでに広いのだ。
もちろん、確認することなど出来はしないが…。
この偉業を成し遂げる勇者の登場を待つしかないだろう。

22行にわたってトイレのことを書いてしまった…。
今日一日、これほどまでにトイレについて語った人間は
おそらくそう多くはないだろう。
別に誇れることではないが。

残念ながら、この先輩はこの誇るべきトイレを確認しなかった。
大学には重要文化財も存在するが、個人的には
このトイレこそ誇るべき文化財であると考える。
これだけの近さにこれだけの数のトイレがあることは、
利便性を考えると非常に…。
…非常に、どうであると言うべきなのだろうか。
優秀か?…どうも違う気がする。
便利か?…それでは表現が重複する。
奇妙か?…そうだ。文脈からは多少違和感があるが、
奇妙であるとするのがもっとも適切だ。

とにかく、トイレを確認せずに大学を去ってしまった先輩と僕は、
新木場へと向かうことになった。
トイレを見ずしてこの大学を見たことにはならない、というのが僕の考えなのだが、どうだろうか?
その先輩は70枚もの写真を撮影していたのだが、
トイレの写真は一枚もなかったのだ。
なんということだ…。このようなことが許されるのか?
まあ、普通の人間はトイレの写真を撮ったりはしないと思うが。

そしてついに新木場にたどり着いた。
東京駅での長大な乗り換えに、
先輩の足はもはや崩壊寸前となっていた。
しかし、それでも彼はもくもくを目指して進んだ。
すべてはもくもくのために!
彼は、この日一日と交通費1300円をもくもくに捧げたのだ。
ちなみに、僕は定期券を持っていたので
交通費は300円しかかからなかった。

ここで、僕は冒険を試みた。
Suicaイオカードを作成したのだ。
2000円を支払い、無事購入に成功した。
ここに至るまでには、数え切れないほどの挫折の歴史があった。
一度などは、「Suicaイオカードをください」と発声しておきながら、
購入に失敗したのだ。
この慨嘆すべき失敗は、そのときの財布に2000円という資金が存在しなかったことが
主要な原因である。
それ以外にも、窓口に人がいたので面倒くさくなって断念した、
とっとと帰りたくなって引き返した、
などなど、多くの失敗を乗り越え、今日の成功を勝ち取ったのである。
この筆舌に尽くしがたい戦いの歴史をこれ以上語ることは、
僕の心に羞恥の念を覚えさせるのでやめることにする。

もくもくにおいて、先輩は多くの木材の比較検討を試みた。
今にも折れそうな脚を引きずり、辛酸を舐める思いで店内を疾駆したのである。
その結果、6000円程度の黒檀を断念し、
400円の黒檀5個を購入した。
冷静な分析を加えれば、残念ながら多くを捧げただけの成果は
得られなかったと言えるだろう。
しかし、成果を得られなかったことや
もくもくの実体を実際に確かめたことによって、
あらゆるソースから得られる情報よりも優れた情報を、
確実に得ることができたのである。
例え、東急ハンズに同様の黒檀が販売されていたとしても、
それは変わらぬ事実なのである。

ちなみに、僕にとっても非常におもしろい経験であった。
こんなことでもなければ、木材をじっと見る機会などないからだ。
次に石材屋に行くことにでもなれば、石材をじっと見ることになるのだろうか。

このように探求と思索の一日を過ごしたが、
僕は僕自身の目的を決して見失うことはなかった。
先輩の再三の指摘によって思い出した、などということは断じてない。
読んでいる方はおそらく忘れ去っていると思われるが、
そもそも僕は、レポートを出すために大学に行ったのだ。
いくら僕が暇人でも、毎日行っている大学に
わざわざ再発見のためだけに出かけたりはしない。
確かに正門から大学に入り、
教務課のある建物の周りをぐるりと一周してから
やっと建物内部に入り、教務課にレポートを提出した。
それは事実であるが、だからと言って
その間レポート提出を忘れていたわけでないのである。

この先輩は今、
買ってきた黒檀をスピーカの下に置いて制震材としている。
「とても勘当している」というメッセージを送ってきた。
まだ21なのに子どもがいて、しかも勘当するような事態になっているとは知らなかった。
実際は感動しているのではないか、という推測が容易に成り立つのであるが、
ここは、あえてその推測を後回しにすることに意義があると考える。

ちなみに、他の人の日記を見たが、
僕のこの日記は、ある程度独自性を主張できる内容だろう。
この文体の人は、僕が見た限りではいなかった。

僕がここの日記の特徴だと思ったことは、
詩と自殺願望が多いことである。
自殺願望がある人って珍しくないんだな、と思った。
ちなみに、自殺願望の強い詩というのもあるが、
あまりに悲観的で、読んでいると悲しくなる。


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