2003.03.25 (Tue) 13:27:16 何日滞っていたのだろう。 今日が25日で最後に書いたのが12日だから、 なんと2週間近くにもなる。 こんなに書けるのだろうか…。 ただでさえ低い質が、さらに低下する危険を感じる。
この日は、僕にとって大きな事件があった。 たぶん、僕と同じような状況になったら、 たいていの人が驚くだろう。 少々気持ち悪い話なので、 覚悟をしてから読むか、さもなくば読み飛ばすことを勧める。
起きたのは、実は金曜日になってからだった。 深夜の3時半頃、 僕は、いつものようにPCで遊んでいた。 遊んでばかりいないで勉強もしなければ、と思うが…。 そのとき、2階にいた僕のところに、 母が僕を呼ぶ声が聞こえた。 僕の名を呼んで、助けてと言っている。 いつも、ビデオの電源が切れないとか、 テレビが切れないとか、 その程度のことで助けを呼ぶので、 今回もまた、そのようなことではないかと思っていた。
しかし、階下に降りていったら、 そこには血の海が広がっていた。 玄関も、リビングも、台所も、母の部屋も、 すべてが血の海だった。 特に母の部屋はひどく、 血の塊が畳の上にぶちまけられて、 畳の表面が見えないほどになっていた。
僕は最近、だいぶ物事に動じないようになった。 だから、表面的にはある程度落ち着いて行動できたように思う。 だが、焦っているという感覚はなかったが、 実際は頭の中が真っ白になっていただけなのかもしれない。
母は、右の手首から血を流しながら立っていた。 出血の感じから、動脈を切ったということではなさそうだった。 病院で聞いたところ、動脈を切っていたということだったので これは僕の見込み違いだったのだが…。 とりあえず、台所に母を寝かせて、 足を高く上げておいた。 冷たい台所に寝かせてもなんの解決にもならないことは分かっていたのだが、 では、どうすればいいのか、 などということは、そのときの僕には分からなかった。 今でも、あのときどうすべきだったのかは分からない。 毛布でも持ってきて、くるんでおけば良かったのだろうか。 まあ、そもそも、 そんなときに家財が血で汚れる、 などとよけいなことを考えていたから、 ソファーベッドに寝かせる、ということすら考えられなかったのかもしれない。
僕はまず、救急車を呼んだ。 救急車が必要なのかどうかは分からなかったが、 おそらく、僕だけではどうしようもない傷だった。 出血が止まるかどうか分からなかったし、 次の日になって病院に行く、などという悠長なことは 言っていられなかったかもしれない。
それから、父に連絡した。 さすがに父は落ち着いていて、 僕にできることを的確に指示してくれた。 と言っても、なるべく腕を高く上げておけとか、 その程度のことではあったが。 でもまあ、僕はその程度のことも考えなかったわけで、 そうなると、実は動揺していたのかもしれない。
それからしばらく、救急車の到着を待った。 なにができるのか分からなかったが、 とりあえず、母に話しかけ続けた。 なにもしないよりマシと思ったが、 それが正しいのかどうかは、今でもよく分からない。 確か、そのときに家庭の医学を広げて、 そのようなことが書いてあったからやったのだと思う。 家庭の医学は一通り読んでいたのだが、 実際にこのような事態になっても、 なんの役にも立たなかった。 まあ、読んだだけで覚えていなかったのが、 最大の原因なのだが。 僕はかなり暇な人間だが、 それでも、1400ページもある家庭の医学の内容を すべて覚えようという気にはなれない。
計ってはいないが、 救急車が来るのはかなり遅かったような気がする。 考えてみれば、そのときに時計くらい、見ておけば良かったのかもしれない。 でも、遅いと感じたのもおそらくは 僕が動揺していたせいであって、 実際は10分程度だったはずだ。
救急隊の人の手際はかなり良かった。 その一方で僕は、着替えを用意しろと言われても 母の服なんてどこに置いているのか知らなくて なにもできなかったのだが…。 だが、できない以上は仕方がない。 なにもしないのが、おそらくはもっとも良い。 下手の考え休むに似たりと言うし、 家族がなにもしないような状況には、彼らは慣れているはずだ。 …と言っても、これは後付の理屈であって、 そのときはそんなことは、考えなかったのだが。 救急隊が来て、これは本当にまずいことなんだと、 初めて危機感を感じるようになって、 動揺を肌に感じるようになったのだ。
救急車に乗っている時間はずいぶん短く感じたが、 実際はかなり遠くまで行っていたようだ。 と言っても、およそ10キロくらいの場所だったのだが。 この時間が極端に短く感じたということは、 やはり精神的に安定していなかったのだろう。 時間の感覚は、僕の経験では、 感情的になればなるほど、どんどん狂ってくる。
救急隊の人は、常に母に話し続けていた。 間を置かずに話し続けることで、 怪我や病気を意識させないようにするのだろう。 当然と言えば当然だが、 血の海の室内を見ても、それほど動揺している様子はなかった。 さすがだ。
…なぜだろう。今の一文を書くとき、 妙に嫌な感じがした。 思い出したくないのだろうか。なぜだろう。 病院に行きたくないとだだをこねていた母の姿が 見苦しかったからだろうか。 胸にズシッと来るような苦しい感覚。 謎だ。 ここで僕が、こんな風に感情的にならなければならない 理由などないはずなのに。
救急隊の人は、 僕がとりあえず巻いておいた包帯を外し、 きっちりと包帯を巻き直した。 そして、鉄の担架を持ってきて、 僕に毛布を持ってくるよう指示した。 僕は急いで2階に駆け上がり、 自分の布団の毛布をひっぺがして持っていった。 …ああ、そうだ。 ここで不必要に急いでいたな。 そうだ。 血まみれになった母を見ても感情的にならなかったのに、 このときはひどく感情的になっていたのだ。 それを思い出したくないのだ…。 焦るばかりでなにもできない惨めな感覚。 それが嫌だったのだ…。 今になって思えば、なにもできないのは当たり前なのだから、 なにもしなくて構わなかったのに。 人間にはできることとできないことがあり、 できないことというのは、 努力するなり金を出すなり、 何らかの手段でできるようにしない限り、 ある日突然できるようになる、ということはまずない。 このような突発的な状況で、 どうにかできるはずもないのだ。
救急車の中では、 母と僕の住所氏名、電話番号を 示された書類に記入した。 なんに使うのかは不明だが。
病院に着くと母は、 当然のことながらすぐに治療に入った。 まあ、これを当然と言える 今の日本はよい環境だと言わねばならないだろう。 その間、僕は待合室で待っていた。 することがなかったので 知人にメールを書いたりしていた。 状況から考えて、どうも自殺未遂ではないかと思い、 知り合いには自殺未遂と書いてしまった。 あとで警察の実況検分などの結果から、 そうではないとの結論がでたのだが…。 あとで書くが、僕としては事故ではないかと思っている。
待合室では、 警察の事情聴取を受けた。 僕は警察が嫌いではないので、それは良かったのだが。 待合室で、なにもしないで待ち続けるより、 警察の人と話している方がずっといい。 事情聴取の内容は、 前もそうだったのだが、かなり細かいことまで聞かれる。 何時頃気づいたのか、とか、 最後に母に会ったのはいつか、とか、 そういうことならまだしも、 僕や弟の大学名や、父の会社名なども聞かれる。 なんに使うのだろう。 おそらくは規則で決まっているのだと思うが。
それにしても、この救急隊と警察との間では、 恐ろしく連携が取れていなかった。 警察が僕のところに話を聞きに来たとき、 警察は現場の状況をなにも知らなかったのだ。 何とかした方がいいのではないだろうか。
ちなみに母の傷の具合だが、 右手首の外側、小指側を、縦に2センチほど切ったらしい。 傷の深さは1センチほどで、 脈を取るときとは反対側の動脈を切っていたそうだ。 静脈部分と筋膜を抜けて、 動脈を切断していたらしい。 医者は動脈を縫合したと簡単そうに言っていたが、 血管をつなぎ合わせるなんてことを そんな簡単にやってしまうとは、さすがだ。 とにかく、動脈が切れていたのでは、 僕一人ではどうにもならなかったのは間違いなさそうだ。
ちなみに普通、手首を切るとなると、 聞き手でない方の内側、つまり親指側を横に切るものだろう。 しかもその場合、ためらい傷と呼ばれる傷ができることが知られている。 これは、自分の体を傷つけることをためらって、 いくつも傷跡がついてしまうような状況を指す。 だから母は、誰か他の人間がやってきて 自分を刺したのだと主張していた。 深夜に突然鍵の入った家に入ってきて、 2階にいる僕に気づかれないように刺して、 鍵をかけて帰っていくなんて、普通はできないと思うのだが…。 だいたいその場合は、防御創と呼ばれる傷が付くそうだ。 刺されそうになった場合、普通は、 手の甲を外側に向けて、自分の身を守ろうとするものらしい。 だから警察は、仕事がつらくて ちょっとサボろうと思って刺しただけだろうと言っていたが、 僕は父が言っていた、単なる事故の公算が強いと思う。 突然よろけて倒れて、そこにガラスの瓶があって、 刺してしまったということだ。 普通、そういうことは考えにくいが、 母はおそらく、かなり重症のアルコール中毒だ。 アルコール、と言うよりもエタノールは 大量に摂取すれば脳を麻痺させるわけで、 そうなれば、いきなりよろけてもおかしくはない。 だいたい、毎日階段を上るときは、 壁により掛かるようにしてずるずると上っているし。
帰りは、警察の人の車で送ってもらった。 どうやって帰ろうかと思案していたところだったので、 これは幸運だった。 ちなみに、自傷行為扱いになってしまったので、 普通にやっていると保険が下りないとかで、 80000円以上請求されるところだった。 結局、父が保険組合と交渉して、 保険を使えることになったようだが。 ここから先の手続きは、 八戸から戻ってきた父にすべて任せてしまった。 正直、それほど疲れていたわけでもなかったのだが、 僕がやって、ミスでもあったら大変だろう。
ちなみに弟は、 父から連絡を受けて、 友人の家からあわてて戻ってきたらしい。 そしてその途中でガス欠になり、 1キロ以上、バイクを押して帰ってきたそうだ。 大変なことだ。 昼間だったらガソリンスタンドが開いていたことだろうに。
しかもそのあと、 血まみれの家の中をきれいに掃除してくれた。 父も苦労していたが、弟も相当苦労したようだ。 結局、母について病院に行った僕が、 一番楽な役回りだったのかもしれない。
ちなみに、出血量は500ミリリットル程度だったそうだ。 献血よりちょっと多い程度で、たいしたことはなかったらしい。 その程度でも、家の床にぶちまけると、かなりの量だ…。
ああ、なんだか妙に疲れた。 日記を書くのが久しぶりだからだろうか。
2003.03.25 (Tue) 14:38:59
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