Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2003年10月21日(火) 考える方向性

ちょっと本気で考えてみたのだが、やはりまずかったようだ。まず、資料のまとめ方が致命的に下手で、何を書いているのかさっぱり分からないと言われた。そして、そのあとにはなんでそういう考え方になったのかと、今までの考え方はどうしたのかと問われた。自分なりに考えたつもりだったのだが、その辺は保守的であったようが良いようだ。分かってはいたのだが、自分で考え直してしまった。そうだ。この研究室にいる限り、それではいけないのだ。教授の方針が最初に示されたのだから、その方針には徹底して従わねばならない。僕の考えたことが不十分というのもあるが、それとは別にして、教授の意に反することをやるべきではないのだ。目的を達成するためにもっとも良い方法を考えるのではないのだ。そもそも目的が違うのだ。目的は教授の意に添った卒論を書くことであり、そのために卒論の目的を用意し、そのためにシステムを構築しなければならない。そしてシステムは、教授の意に添ったものでなければならない。それが目的だからだ。手段と目的を取り違えてはならない。卒論の目的と言っても、それは目的ではない。最後の目的、教授の意を反映させるための手段なのだ。最も重要なのは目的であって、手段ではない。忘れないよう、肝に銘じなければならない。

そのあと、大学院生の人といろいろ話した。割と哲学的なことを語っていておもしろかった。人それぞれ、価値観はいろいろだなとしみじみ感じる。「一度くらい大麻やLSDをやってみるといい」なんて、僕の頭からは逆さまにしても出てこない発想だ。タバコの害について、「本当にタバコに害があるのか」なんて深く考えたことはなかった。タバコの煙に有害物質が含まれることと、タバコの煙が毒であることは、同じことではないのかもしれない。タバコの煙として摂取された場合は毒にならないとか、どう考えても正しくないと思われることが真実かもしれないのだ。一般には屁理屈と言うのだろうが、柔軟な発想というのはこういうことなのだろう。結局のところ、一番印象に残ったのは、「社会ってのはきついんだよ」ということ。仕事がきついこともつらいかもしれない。でも、努力しても、仕事をしても満たされないことがもっとつらいのだろう。そうは言わなかったが、満たされないのが社会のつらさだと、僕は感じた。

社会もつらいかもしれないが、まずは目先の論文だ。提出する資料についてはいろいろ言われるが、研究の進め方については未だにはっきりとした話がない。断片的な話をつなぎ合わせて自分で何とか考えていくしかない。一昔前の職人のようで効率が悪い。世の中、そうしたものだろう。何も知らない人間に、一からモノを教えるのは面倒だからやっていられないのだ。目的と手段をしっかりと見据えることだ…。具体的な手順、スキル、方法論がわからないのだから、それしかない。


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