今日は昼から書いてみたり。
今一度、肝に銘じておこう。卒論を書くのではない。仕事をするのだ。教授の言葉に出さない意思をまとめるのだ。教授はとてもアメリカナイズされていて、自分の妻をワイフと呼んだりするが、最後のところはとても日本的だ。もっとも大事な部分は言わない。だから、僕はその意図を汲み取って、教授が考えているものを推察して仕立てなければならない。阿吽の呼吸なんて考えたこともないが、今、僕はそれを要求されている。
「私のセクレタリー(秘書)ではないのだから自分で考えろ。」と言っていたのは建て前だ。だが、他の指示はすべて、アドバイスではなく命令なのだ。自分で考えた結果、教授の指示に反することは許されない。僕の作ろうとしているものはすでに教授の計画の中に組み込まれている。これは僕だけではない。今度やってきた修士の人も、やはり教授の計画の中にあるシステムを作ろうとしている。本来はそこまでも僕がやるはずだったのだが、それは無理だと判断したようだ。まあ、シミュレータなんて一人の人間が作るものではないし、妥当なところだろう。一人でダメでも二人なら作れるかと言えば、決してそんなことはないが。
教授にはビジョンがあって、それは阿吽の呼吸ではなく、明確に示された。だからそのビジョンから、今、自分がなすべきことを考えなければならない。難しく考えてはいけない。実際のところ、考えることは要求されていない。僕は下請けなのだから、指示された仕様を満たすことだけ考えればいいのだ。あらゆる状況に対応できるとか、不特定多数の人による任意の実装が可能とか、不可能な言葉が並んでいるが、その辺はごまかすしかない。本当に誰でも任意の実装をできるようにするためには、実装をする人がすべてやらなければならない。例えばプログラミング言語というのがある。これは、コンピュータにできるすべてのことを書けるように思われそうだが、実際は言語によって制約がある。プログラミング言語というものを用意した時点で、任意の実装は不可能なのだ。ただ、実装の幅が極めて広いだけだ。僕もそうやるのが良いのだろうか。実装の幅をなるべく広くして、それで「任意の実装が可能です」と主張するのだ。実際は僕が決めた枠の中でしか実装はできない。矛盾点は明確であり、第三者に指摘されれば反論はできない。しかし、それが教授の指示なのだ。反することはできないと分かった。
とは言え、ちゃんとした知識があればごまかすこともできるのだろうが、何も知らない僕が、いったい何をどうすれば幅の広い実装を可能にすることができるのだろう。