Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2003年10月29日(水) 教職課程の裏技

毎日更新は無理だな、こりゃ。そろそろあきらめよう。

今日は、教職担当の教官に会って、おもしろい話を聞いた。おそらく、教育系の大学ではできないことだと思うのだが…。

本来教職課程では、教職に関する科目として教育実習も含めて計27単位と、文部省令で定める科目計8単位、さらに教科に関する科目として、職業指導を必修として計36単位を取得しなければならない。

ところが特例として、教職に関する科目の単位と、教科に関する科目の単位には互換性があるのだ。つまり、教職の単位の代わりに教科の単位を使ってもいいということだ。当分の間とされたまま、すでに40年が経過しているらしい。互換性があると、どういうことになるのか。

僕のように専門の大学で教職を履修する場合、通常の科目に教職を上乗せする形になる。専門の勉強とは別に教育学を学ばなければならないからだ。さらに、専門の大学では教職に対して冷たい扱いがなされている場合が多い。普通の授業とは別に教職を取らなければならないのに、時間設定が他の授業とぶつかったりしてやたらと履修しにくかったりするのだ。一方、教科については、職業指導以外は通常の卒業単位として計算されるために、教職のことなんぞ何も考えてなくても履修する。だから、上で述べた教職と教科では、教科の方がはるかに履修しやすいのだ。

教職と教科では教科の方が履修しやすい。そして、教職と教科の単位には互換性がある。ここから導かれる結論は、教職の単位を教科の単位で穴埋めすれば楽だ、ということになる。で、具体的に、何が楽なのか考えてみる。

まず、取りにくい教職を取らずに済むのが最大の利点だ。しかし、他にもある。教職の中で最大の難関は、人にもよるだろうが、普通は教育実習である。しかし、教科で穴埋めできるなら教育実習などしなくてもいい。うちの大学の場合、教科の指導法が通年で組み込まれている。普通は半年で取れる単位が、この科目に限っては1年必要なのだ。この指導法も取らなくていい。

この方法を使えば、理屈で言えばものすごい教師ができあがることになる。教育学を知らない教師だ。どの単位を穴埋めしたかによるが、例えば、教育実習をしていなければ、現場に出た経験のない教師ができあがる。専門科目の指導法を履修していなければ、教え方を知らない教師ができあがる。生徒・進路指導を履修していなければ生徒の生活指導や進路の相談ができない教師ができあがる。いずれにしてもあまり嬉しいこととは思えない。

詳しい事情を知らないので責任は持てないが、この原因としては、専門の大学出身の教師を増やしたいという事情があるのではないだろうか。教育を専門としている大学で学んだ教師は、教育学を熟知している一方、専門知識は本物の専門家に劣るという状況になりやすいだろう。一方専門の大学出身であれば、教育学はおざなりであっても、専門知識に関しては本物の専門家と同じ教育を受けていることになる。今は科学技術立国が叫ばれているし、昔だってモノ作りで日本は成り立っていた。特に理数系の科目に関しては、高度な専門知識を持った人間に現場に立って欲しいという経済界などからの欲求が強かっただろうし、今でも強いだろう。効果のよく分からない教育学よりも最高水準の専門知識が優先されていると言える。

ついでにその教職担当の教官に会った後、彼女に会った。最近、時々顔を合わせる機会があってうれしい。雑用を頼まれて事務へ行く、と言って笑っていた。後期の履修申請も出し忘れているようだし、最近余裕を失っているように見えて気になる。僕が書類を出し忘れるなんて日常茶飯事で大学院入試の出願ができなくなりそうになったこともあったが、彼女がそんなミスをするのは初めて見た。僕にだって余裕はないが、彼女はそれに輪をかけてきつい状況にありそうだ。まあ、それは研究室の環境が大きく影響しているのだと思うが。僕の研究室のように結果についてのみ論じていれば、精神的にそれほど動揺を受けることは少ないだろう。しかし、それに強い感情的な批判が加われば、精神的にダメージを受けることは間違いない。人間は感情の生き物なのだから、感情的であるのが本来の姿なのかもしれないが…。


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