Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2003年11月23日(日) 結婚式

結婚しました。…もちろん僕ではないが。行ってきたのは従姉いとこの結婚式だ。

実は、僕は今まで結婚式に行ったことがなかった。結婚式自体はあったのだが、基本情報技術者の試験と重なったりして行けなかったのだ。…もっとも、その基本情報技術者の試験は寝坊して受けられなかったのだが。2002年の10月20日だったと思う。今、見返してみてもやはり情けないな。当時はあまりに情けなくて絶望的な気分になったものだが。

朝早くから出かけていって、途中で朝食を取って池袋まで出かけた。会場はベルクラシックホテルというところだった。なかなか高そうなホテルだった。まちがって喫茶店の席に座ってしまって、仕方なくココアを頼んだのだが、一杯700円、2人で同じものを頼んだらなんと1600円以上になってしまった。二杯で1400円なのだが、残りの分はサービス料らしい。そんなたいしたサービスは受けていないのだが…。1600円ということは、1人800円。これだけあれば、ココアどころか、おいしいものが腹一杯食べられる、などと考えるのは貧乏性だろうか。

結婚式では、とにかく待たされた。丸一日かかっていたのだが、結婚式に30分と披露宴に2時間。11時半頃について披露宴が終わったのは17時くらいだから、5時間半のうち、まともに何かしていたのは2時間半だけで、残りの3時間はひたすら待っていたわけだ。しかも、Javaのデザインパターンの本を持っていっていたのだが、大きくてかさばるためにホテルの中に持ち込めず、何の意味もなかった。文庫本もあったのだが…。デジタルカメラも忘れたし、今日は後悔のし通しだった。

結婚式そのものは、たいしたことはなかった。本人たちは幸せかも知れないが、そんなことで呼び出されるこっちは面倒なだけだ。だが、結婚式そのものはいいとして、結婚式場でバイオリンの生演奏を聴けたのはかなり感動した。オーディオにかなり凝っている知人がいるが、その人の家で聴いた音にかなり近かった。さすがにこだわっているだけのことはあると妙に感心してしまった。

にしても、あのキリスト教の牧師。明らかに無宗教の人間たちを相手に、よくもまあ、あそこまでできるものだ。結婚式というのは、思ったよりずっと宗教的なのだと思った。日本人の国民性がまともに現れている。都合のいいときだけ宗教を利用する国民性だ。キリスト教なんて信じていないくせに、ロマンチックだからと教会を利用する。宗教をバカにしているとしか思えないのだが、それでどうして教会側も協力するのだろうか。いや、教会は結婚式のために建てられたものだろうから、問題は牧師か。まあ、牧師も結婚式のために雇われたニセモノだと考えればしっくりくるのだが。英語の演説なんて聞かされてもきっとほとんどの人は理解していないに違いない。雰囲気を出すためだけに無意味なことをするものだ。音楽を聴けるのはいいが、それ以外のあんなセレモニーにいったい何の意味があるのだろうか。

披露宴の方は、見るべき点はなかった。新婦とその友人の歌は異常にうまかったが、だからと言って一日をつぶしてまで聴くほどの価値はない。まあ、フランス料理のフルコースは初めてだったのでいい経験になった。結論から先に言えば、こんな高級なものは僕の口に合わない。よくできた料理なのだろうが、僕にはおいしいとは思えなかった。弟はかなりおいしいと言っていたので、おそらく僕の味覚が安っぽいのだろう。まあ、フランス料理を食べてまずいと思ったとしても、牛丼を食べておいしいと思えるのなら何の問題もないと思っている。牛丼屋の牛丼がまずくて食えないなんて言う奴がいるが、フランス料理を食べられないよりもそんなやつの方が不幸だと僕は思う。あんな安くおいしい料理が食べられるなんて、幸せなことではないか。聞いた話では相当薄味だったらしい。味がどうとか言う以前に好きになれなかったので、僕にはよく分からなかったが。

そんなところだろうか。どうも結婚式における中途半端に遠い親族というのは、単なるお手伝いのようだ。結婚式の主役はもちろん新郎新婦、あるいは両親だ。祝福するのは彼らの友人たちだ。僕のような遠い親戚の場合、祝福しようにも相手のことをよく知らない。今回結婚した従姉とは、僕は数回しか会ったことがないのだ。言葉を交わしたのも10回あるかどうか。そんな僕たちがやることと言えば、式には興味がないのだから、ビデオを撮影したり、受付をやったりすることだけだろう。そう言えば、受け付けもひどくいい加減だった。何の説明もなかったので、僕はろくにあいさつもできなかった。まあ、社会人としての常識が欠如していることは確かだが。まあ、受付をしに来た相手だって僕らにあいさつしてこなかったし、その辺はどちらも似たようなものだろう。

チャペルにいた修道士っぽい人たち。なんとなくアコライトっぽかった…。鐘を鳴らしているのはエンジェラスに見えた。ゲームのやりすぎだろうか。ちなみにこのリンク先、見づらいが一応、鐘が鳴っている。あのベルはなんて言うんだったかな。最近、割と演奏する人が増えているらしい。ああ、そうだ。ハンドベルだ。確か、高校の頃の先生が演奏していたな。あの人は、日の丸君が代に反対して大変な目に遭っていた人とは別の人だろうか。ああ、思想信条の自由はどうなるのだろうか。

リンクするためにあちこち探していたら、こちらで書いていたことを忘れてしまった。ちなみに、ここに4つか5つほどリンクを示しているが、これを探してくるだけで30分くらいかかっている。インターネットの情報検索というのは意外と時間がかかるのだ。1つのことに対して最低2つか3つは調べ、その中でもっとも適するものを選ぶのが基本だからだ。もちろん、時と場合によってはもっとたくさん調べる必要がある。ここのように単に示すのではなく、何らかの証拠であったりするなら10,20くらいの数は当然、調べなければならない。インターネットによる調査は決して楽ではないのだ。

あとは…、そうだなあ。結婚式の最高に盛り上がっているときに子どもが騒いでいるのは、みんなうるさいと思わなかったのだろうか?ロマンチックな結婚式なんてあまり興味はないが、それでも、子どもの無神経なわめき声に邪魔された新郎新婦が気の毒でならなかった。かわいいとか言う前に、最低限のことはさせるようにしろよ、と思う。そして、それができないのなら連れてくるべきではないだろう。その子どもは1歳だと聞いた。であれば、場所柄をわきまえて騒がないようにさせることは難しい。最初から、その場に連れ込まないようにすべきだった。僕の結婚式でそんなことがあれば…。僕自身は結婚式にたいした期待も喜びも感じないだろうからどうでもいい。しかし、妻になる人の悲しみを思うと、怒りを覚えずにはいられないだろう。

あとは、まだまだ不十分な点は見られたが、ホテル側の演出技法はなかなかおもしろかった。特に使う場面は思い当たらないが、式を盛り上げる方法は考えるに値すると思った。もっとも、僕は場を盛り上げるという発想自体が好きではないので、たとえ知っていたとしても、使うことはないだろう。

そう言えば、初めて酒を強制されそうになった。今まではもしよければ、という感じだったが、今日はもう少しきつかった。もっとも、弟が「おじさんの酌を断るなんて」とかなんとか、意味不明の戯言をほざいていたのが、火に油を注いだということは言えるだろうが。弟は、普段は要領がよくて物事を丁寧に考えるのに、こういうときにときどき無神経なことをする。もちろん、だからと言って酒を飲んでしまっては言行不一致になる。強制された以上は断らねばならない。特に飲む理由はないのだ。トレーニングとして飲んでおくとか、限界を知っておくという意味では、前回のバイトの時で十分だ。だいたい自分の限界を理解した以上、もはや無理に飲む必然性などないのだ。にしても、確か僕は、4回「酒とタバコと麻雀は嫌いなんです。」と言った。これほど理解されないのも珍しい。僕の話など聞くに値しないと考えられているのだろう。それは仕方ないが、しかし…。それはつまり、僕の意志を完全に無視して、とにかく飲ませようとしているということになる。世の中には、そんな人もいるのだ。どれほど柔軟に考えようとしても、加齢と共に考えが硬直化していくのは止められない。酒の問題に関しては、とにかく年輩者に注意しなければなるまい。理解しているようなことを言っても、露骨に不快感を示してくるようであれば黄信号だ。最悪、イッキ飲みで病院送りも覚悟しなければならないだろう。僕は、エタノールパッチテストによると酒に弱くないらしいが、それで100%間違いないとは言えない。それに、精神的な要因で症状が悪化することも十分に考えられる。世の中は厳しいとは言え、これほどの不条理が簡単にまかり通るなんて、どうかしている…。


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