今日は、研究室で大掃除をした。そして、これから忘年会に行く予定だ。会費は確か3000円だっただろうか。教職員が多く出すとかいう噂だ。
やっぱり、大掃除とは言え一種の団体行動であり、団体行動をすると、メンバーのことを少し理解できる。技官の人は、意外とやる気がないことが判明した。大掃除だと言うのに、面倒だから机は動かさなくていいや、と言っていた。まあ、僕も部屋の清潔さにはさほど興味はないので、軽いものだけ動かして、触れるものだけ雑巾をかけて、床は掃除機とモップでおしまいという大掃除に特に異存はない。技官と僕と、学部の学生二人の計4人でやったのだが、男女一人ずつの学生のうち、女の学生は多少不満げだった。しかし、特にきれい好きでもない男が集まったって、この程度の大掃除にしかならないのだ。なんと、三つの部屋を掃除して2時間で終わったのだから、とても大掃除とは言えないものだということは容易に察することができるだろう。
ところで、「察する」ってのはいったいどういう言葉だろう。辞書を引くと「サ行変格活用」とある。サ行変格活用ってのは「する」って動詞と同じ活用をするはずだ。それはいいのだが、可能を表す場合はどうだろう。普通、サ行変格活用の動詞で可能を表現する場合、「できる」という言葉を使うはずだ。「相談できる」、「感動できる」、「理解できる」という感じだ。これを察すると言う言葉に使うとどうなるのだろうか。「察できる」だろうか。こんな使い方をするとは思えないし、変換もできない。どうもこれ、普通のサ行変格活用の言葉とは違う気がする。
と思ってあれこれ調べてみると、ATOK技術情報にちょっとおもしろいことが載っていた。「する」がついてサ行変格活用する動詞と、そもそもサ行変格活用の動詞とで区別しているのだ。学術的には分からないが、やはりプログラムとして実装するときは区別するのだろう。この場合、いったい「可能」の表現はどうなるのだろう。「察することができる」という表現しかないのだろうか。ちなみに、「察せられる」という表現はできるようだが、これは「察す」という言葉からの派生だから、「察する」という言葉とは別…なのだろうか。そもそもこれ、サ行五段活用の終止形だけ「察する」に変わった形のような気もする。うーん。どうもよく分からない。未然形から順番に見ていくと、サ行五段活用として見た場合、「察さない」、「察します」、「察す」、「察すとき」、「察せば」、「察せ」で、サ行変格活用として見ると「察しない」、「察します」、「察する」、「察するとき」、「察すれば」、「察せよ」となる。一応整理しよう。
動詞の活用
| 五段 | 変格 |
未然 | 察さない | 察しない |
連用 | 察します | 察します |
終止 | 察す | 察する |
連体 | 察すとき | 察するとき |
仮定 | 察せば | 察すれば |
命令 | 察せ | 察せよ |
で、書きかけだが、そろそろ忘年会の時間なので出かけることにする。言いたいことは、これどっちでも通じるなあ、ってことだ。どっちが正しいのだろう。あるいは両方正しいのだろうか。ちなみに、body要素内にstyle要素を記述しているので、ブラウザによっては不具合が出るかも知れない。そもそも、この書き方が正しいのかどうかは確認していない。
で、12月11日になって、表とその他の加筆をした。10日のうちに全部書けよ、という気もするが。忘年会は…。まあ、たいしてよくもなかったが、酔った先生や後輩に絡まれなかったから良しとしよう。正直に言ってそれほど今の研究室に満足しているわけではないが、酔っぱらいがいないのは嬉しい。