平素に在り

2003年01月28日(火) 意見の相違

一番苦手なのが、異論を唱える時に攻撃的になったり、
怒りの感情と共にぶつけてくるタイプだ。

意見の衝突、見解の相違などは
各人の経験や環境の相違から当然起こるべくして起こる。

それは、決して相手の人格を否定したり
憎くて起こるものではないのだ。

ところが、反対意見を言う時に、
相手の意見を頭から否定して持論を大声で繰り返したり、
何故か感情的になり、自分の人格を否定されたの如く怒る人が
何と多いことか・・・

そうなると、こっちとしては議論する気にもならず、
ただ相手の感情に嫌悪感を覚えるだけである。
「売り言葉」に対して「買い言葉」が
できないタイプなのだ。

そのくせあとあと思い出しては、
あの時こう言ってればよかった、とか
後悔すること頻りである。
ただその場では、相手の「負の感情」が
びんびん感じられて、自分の当然の反撃や反論が
できなくなってしまうのだ。

理不尽な苦情電話・家族との言い争い
社内での人間関係などで幾度もそういう場にあってきた。

そういうことがある度に、無力感というか
世の中には「自分と常識が全く違う世界の人」
が多いことに驚かされる。

だから「話せばわかる」といのは嘘で
いくら話してもわからない人はわからない、と思う。

人間的に未熟だったせいか、そんなことが実感として
わかったのが35歳くらいだろうか。

そうなると、「誠実に話す」よりも
いかに自分に「危害を与えない」ように立ち回るか
を考えるようになる。

だが、それが非常に「疲れる」のだ。
相手の弱みをついたり、権威を振りかざしたり、
物事そのものよりも、相手を「へこませる」
権謀術数を駆使することになるからだ。

そんなことばかりしていると
磨り減って疲弊してしまうのだ。

「ああ、単純に生きたい!」
と切実に思うこのごろでした。


 < 過去  INDEX  未来 >


こうたろう [MAIL]

My追加