平素に在り

2003年10月03日(金) 寛解

躁鬱病に「完治」という概念は無い。
「躁鬱病は自分の人格の一部分であり個性である」
と思っている。

自分の状態を「認知」する事ができれば
社会生活上なんら支障は無い。

2泊3日で鎌倉の実家へ行ってきた。
妻も疲れ果て、このままでは家庭崩壊
の危機であったので、医者のアドバイス
もあり、一人で気侭に過ごす。
来週は箱根に1週間。

しかし、鎌倉の美しいことよ。
歩いて歩いて歩きました。

腰越海岸・長谷の大仏・源氏山・銭洗弁天
・円覚寺・極楽寺・鎌倉山・・・
気候も良く、ポロシャツの汗がスっーと
秋風に乾いて爽快。

山中は鬱蒼としていて、木々の樹液の
甘い臭いがし、海からは潮風そして
鎌倉山から相模湾を眺めると、海が
鏡のように太陽を反射していた。

コスモス畑越しにそんな風景を見ていると
自分の幼いころ、両親に連れられて来たことや
無鉄砲な学生時代が彷彿され、自分の頭の中で
何か「!」スイッチが入った。

地元の人のみぞ知るその場所で
東京とは全く異質の風・太陽・海を目の前に
しばらく茫然と見とれてしまった。

躁転ではなく、ふつふつとエネルギーが体と心
に湧いてきた。自分が生まれ育った原風景が
忘れかけていた何か「!」を蘇らせてくれた。

言葉では言い表せないが、自分の中で
自分が変わった。
おそらく、来月から復職し、もうこの病気
で会社を休むことは無いでしょう。

山道・仏像・石仏・木々・海
あらゆるものが五感を心地よく刺激し
エクスタシーを感じてしまったような
不思議な体験でした。

それにしても年老いた両親よ・・・
あなたたちの優しさと励まし・
無条件の愛情を感じて帰りの電車
では、ひとり涙が出てしまった。

私はその優しさを、妻と子供に
伝えていきます。
そして丸の内の美女医さま。
「ひとり旅で元気が出る人がいます」
とのアドバイス、ありがとう。

「川は いつも 流れていなければいけません」
「瞳は いつも 澄んでいなければなりません」
「心は いつも 燃えていなければいけません」
・・・・・・・円覚寺にて掲示

「座禅は何のためにするのですか?」
「座禅が座禅を座禅するのだ」
「どんな仕事でもいい、ただ仕事が仕事を
 するように働かなければならない」
・・・・・・・意味がわからずここ2,3日解釈中。


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こうたろう [MAIL]

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