平素に在り

2003年10月19日(日) ヒルトンホテル

で過ごした1週間。
基本的には、ジムとサウナを毎日。

あとは、表参道あたりをブラブラ。

新宿はすごい雑踏だ。
混んだ電車も久しぶりに乗ったが
やはり疲れる。

「閑」(かん)のある生活 という本を
読んだ。なんでも一昔前に「清貧の思想」とか
いうベストセラーを著した作家だ。

生活を単純化し、する事を少なくし、
社交もできるだけ控え、心乱すものから
遠ざかれ・・のような内容。

筋が通っているようだが、どうもしっくり
こない。もともと定年後の過ごし方を書いた
ようなので仕方ないのかもしれない。

「心の平安」がお金や名誉や見栄えでは
得られないのは良くわかる。
だが、自分が生きていくのは俗世間であり
資本主義の中の労働者という搾取される立場
であり、家族を養わなくてはならず、
嫌な事でもやらねばならない。

子供が病気になれば右往左往するし、
嫌な仕事があれば、暗い気持ちになるし
お金は株で儲けたいし、痩せてかっこよく
なりたいし、・・つまり心休まらない立場
なのだ。

出家でもするか、大富豪になるかしなければ
この忌まわしい俗世間で労働し、心向かない
事もやり、常に不安や心配や嫉妬や欺瞞に
晒されていなければならない。

ただひとつ考えたのは、「心の平安」は無理でも
「心の余裕」なら、可能かなと思う。

考えても無駄な事は考えない。
明日の事は運命に任せる。
欲望には限りがないので、何事もやり過ぎない。
好きな事を中心に生活を考える。
できるだけ自然に触れる。
できるだけ、自分の本心に逆らう事柄や
心を乱しそうな事柄から逃げる。

「囚われない心」とでもいうか、
今までの自分のように、「全力投球」
「全身全霊を込めて・・」というのは
やめにして、淡々と生きていこう!

人の役に立とうとか、世の中のためにとか
大義名分は必要ない。おそらくそんな事が
出来ると考える方が慢心なのだ。
単に、俗世間上役に立っているだけで
本当に魂を救えるのは、なんでもない自然だったり
無意識に発せられた言葉だったりするんだろう。

と言いつつ、また悩むんだろうな・・・


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こうたろう [MAIL]

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