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2007年03月26日(月) 数字で死を語る愚行



「 一人の死は悲劇だが、百万人の死は統計だ 」

                     ヨセフ・スターリン ( ロシアの政治家 )

A single death is a tragedy, a million deaths is a statistic.

                                 Joseph Stalin



スターリンの本名は、ヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ である。

ペンネームの 「 スターリン ( 鋼鉄の人 ) 」 のほうが、断然覚えやすい。


インフルエンザの治療薬 『 タミフル 』 を服用した男女 ( 主に10代 ) が、転落などの異常行動により死亡するケースが相次ぎ、問題になっている。

もちろん、そんな薬を服用していなくても、高い場所から飛び降りようとするお馬鹿さんは数え切れないほどいるのが、当世日本の現状である。

いくら周囲が心配しても、生命の尊さを説いても、生きるのが面倒だったり、勇気を出し惜しみしたり、また、周囲の気をひくために自殺する者はいる。

問題は 「 致命的な因果関係 」 の有無と、代替する 「 安全な特効薬 」 の有無であるが、いまのところ決定的な代替品が見当たらない様子だ。

有用性が高くて、因果関係も明らかにされていないのだから、いまのところ国として使用を差し止める措置を取らないのも無理はない。


こういう問題が起きると必ず、薬を飲んで死亡した 「 確率 」 を数字で示し、その安全性を云々する人が現れる。

今回の場合でも、「 ○百万人が飲んで、○十名が死亡した 」 といった統計から、仕方がないとか、忌々しき問題であるなどと、論議を展開される。

これは一見、論理的な意見のように思われがちだが、実は危険な判断で、「 死を数字で語ることの空虚さ、恐ろしさ 」 を忘れている。

戦争も病気も、割合的に死者が少ないから良いとか、悪いとかいった類のものではなく、たとえ少数でも多数でも、それが善悪の決め手ではない。

数字という客観的事実の手を借りて、さも冷静な分析をしているかのように見せかけるのは、物事の本質を知らない愚人の行動である。


人間が数字に対して抱くことのできる想像力というのは実に貧困で、一人の死が招く悲しみは知っていても、それの数倍、数十倍を想像などできない。

冒頭の名言にある通り、統計としての百万人の死は、身近な一人の死よりも悲劇的ではないのが実態なのである。

スターリンのような独裁者や、自殺癖のある人、つまりは 「 生命の価値を理解していない人物 」 ほど、死の軽重を 「 数字 」 で判断しやすい。

地震で何人死んだ、戦争で何人死んだと喚く割には、自分や仲間の生命を大切にしたり、健康管理に心がけようとする努力が足りない。

特別な立場でないかぎり、普通は 「 何人死んだか 」 よりも、「 誰が死んだか 」 のほうに関心があるはずで、それこそが “ 人間的 ” なのである。


広く飲まれている割に死亡例が少ないので、タミフルは問題がないと話す人もいるが、その 「 ごく少ない死亡例の遺族 」 に、そんな論理は通じない。

発症例が少なければ問題ないのであれば、全米で毎日の食卓に上がっているアメリカ産牛肉に 「 BSE問題の不安 」 を抱くことは、さらにおかしい。

本気で健康被害を恐れているのではなく、評論家気取りで独断的な意見を押し付けることを好む人たちが、なにかというと数字を持ち出してくる。

問題は、自分や、大切な人々に危害を及ぼすかどうかであって、統計的な数字よりもそれを優先して考えることは、利己主義ではなく生への欲求だ。

医薬の場合は基本的に、「 どんな薬にも副作用はある 」 背景を忘れず、副作用のない薬を求めると同時に、服用者が注意することが肝要だろう。






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