「 人間に必要なのは困ることだ。
絶体絶命に追い込まれたときに出る力が本当の力です 」
本田 宗一郎 ( ホンダ 創業者 )
What people need are problems. The power that emerges when faced with a problem, where you would lose everything, is your true power.
Souichiro Honda
多かれ少なかれ、現代人は皆、何かに 「 困っている 」 はずだ。
環境問題、エネルギー問題など、誰も逃れられない危機が間近にある。
そんな 「 地球の終わり 」 規模の悩みからすれば、年金が少し誤魔化されたぐらいの話は、どうってことでもない。
どうでもいいとまでは言わないが、それは 「 取り返しのつく話 」 であって、頭の良い改善策を導き出し、きとんと実行することで、十分に解決する。
政党にも、企業にも、個人にも、逆境に遭遇するのは珍しくもなく、そこで、「 自分だけが不幸だ 」 なんて気持ちになるのは、まさに愚の骨頂である。
最近の自民党には 「 失望感 」 を抱く人も多いが、年金問題の失策よりも、幾多の難関に対峙する 「 覚悟が足りない 」 ことへの不満が大きい。
こんな時こそ、各人が襟を正すべきなのに、不謹慎な発言や、不遜な態度が目に付くのは、国政責任の一翼を担う者として、緊張感も足りなすぎる。
麻生外相が遊説先の富山県で、アルツハイマー病患者への配慮を欠いた発言を行ったことは、当然、重大問題であり、厳しく反省を促すべきである。
ただし、それを叱責する野党側も 「 ネガティブ・キャンペーン 」 として選挙に利用したいだけで、同病に対し特別な感慨など持ち合わせてはいない。
事実、この件に関し 「 不謹慎だ 」、「 病人への差別だ 」 と糾弾する人々の多くが ( 私も含めて )、普段は似たような言動をしているのではないか。
何か物忘れをした友人に対し 「 アルツハイマーかよ 」 とか、気落ちしている人に向けて 「 うつ病かよ 」 なんて ジョーク は、日常的に交わされる。
もちろん、閣僚という重要な ポスト にある以上、発言は慎重に選ぶべきだし、「 ユーモア と 悪ふざけ 」 は紙一重だということを、心すべきではある。
一度、口に出した言葉は元に戻せないが、大事なことは、今後、どのような形で謝罪し、国民の理解と信頼を取り戻すかという行動に他ならない。
どうも最近の政治家、企業経営者などをみていると、失策に対して開き直るか、あるいは絶望するか、どちらか両極端に走りやすい傾向が目に付く。
一般人も同じで、「 失敗したら、また 0 の状態からやり直す 」 だけでよいのに、たった一度の失敗に絶望し、再チャレンジ をしない人が多い。
安倍首相が 「 再チャレンジ支援構想 」 を打ち出した際も、これは有意義な政策であるにも関わらず、鼻で笑う人が多かった。
政府は、多様な機会が与えられ、何度でも再挑戦の出来る社会をつくろうと尽力しているのに、耳を貸さず、絶望して自殺する輩が後を絶たない。
大阪では34歳の電気工事業者が、妊娠中の妻と、2人の幼児を殺害し、自分も自殺をするという何とも愚かな事件が、今日も発生した。
室内にあった携帯電話には、「 食べていけず、死ぬことを決めた 」 などと書かれた 未送信メール が残され、生活苦による無理心中のようだ。
日本には古来より、なぜか無条件に 「 死者にムチ打たない 」 ことを美徳とする マヌケ な習慣が根付いているけれど、本当にそれでよいのか。
自殺した男は、胎児や自分自身を含めると 「 5つの貴重な生命を奪った 」 残虐な凶悪犯であり、社会の クズ 以外の何者でもない。
子供を3人もつくれるのだから、健康面で深刻な障害があったとも思えず、「 食べていけない 」 のは、単なる怠惰でしかないではないか。
殺された子供たちは、あるいは生活保護を受け、怠け者の親から離れ生きてさえいれば、将来は大金持ちや、成功者になったかもしれないのである。
そう思うと、殺された子供たちに同情はするけれど、殺害した自殺者に対しては、憎悪以外に何の感情も抱けない。
友人のクリスチャンによると、キリストが最も忌み嫌ったのは 「 絶望 」 であり、すべての害悪の中でも、絶望が最も罪深いのだという。
平和な国に生まれ、結婚し、子供を持ち、その人生が 「 不幸でしかない 」 わけがなく、年齢的にも 「 やり直す機会 」 は、いくらでもあったはずだ。
ほんの少しの 「 逆境に挑む勇気 」 が無いことで、周囲の将来を台無しにし、世間に多大な不快感を与えたこの自殺者を、私は断じて許せない。
前回の日記にも書いたが、自分自身の日記に「 ちょっと気取ってるかな 」 と感じていることの一つに、「 生命 」 の問題がある。
せっかく生まれてきたのだから、「 皆、生命を大事にしましょう 」、「 自殺はやめましょう 」 と、この日記では繰り返し訴え続けてきた。
しかしながら、安易に自殺をし、周囲まで巻き込む連中の実態を眺めると、本音としては 「 こいつは死んだほうがいい 」 と思う人間が実に多い。
逆境に立ち向かう意志を持たない愚かな者は、他者まで被害が及ぶ前に、家族と縁を切り、できるだけ他人に迷惑をかけずに、死んだほうがよい。
年に一度、「 自殺の日 」 を設け、廃線に無人の列車を走らせて、死にたい キチガイ は一斉に枕木に頭を並べればよいのである。
自殺することが悪いのではなく、「 死にたい 」 と思うことが悪いのだという認識を、全国民が広く思い知るべき時期にきていると思う。
死にたい気持ちを抱えたまま、たとえ生きていても 「 ロクな人間ではない 」 わけで、そんな人間を生かしておいても害にしかならない。
単に自殺者数を減らすだけの対策など、社会にとっては無益であり、本気で救済するのならば、「 生きる意味、価値、喜び 」 を伝える必要がある。
精神病患者に罪はなく、彼らを痛めつけてはいけないが、精神病そのものは間違いなく 「 悪 」 であることも、皆、強く認識すべきなのだ。
そうして、再び日本人の精神が、逆境や、ストレス耐性に強いという誇りを取り戻さないと、この国はますます弱体化の一途を辿るだろう。
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