| 2007年08月06日(月) |
落し物に関する日米の道徳意識 |
「 道徳的なことは行った後で気持ちがよいことであり、
不道徳なことは後味の悪いことである 」
アーネスト・ヘミングウェイ ( アメリカの小説家 )
What is moral is what you feel good after and what is immoral is what you feel bad after.
Ernest Hemingway
東京駅に来たアメリカ人女性が、ホームに落ちていた百円玉に気付いた。
拾い上げ、近くにいた女子中学生に渡すと、その娘は駅員に届けた。
別の日、そのアメリカ人女性は、小学生くらいの男の子がお金らしきものを道で拾い、50m ほど離れた交番へ走って届けに行く光景を目撃した。
この二つの事例で彼女が驚いたのは、「 なぜ自分のものにしないのか 」 という点と、「 なぜ駅員や警官を無条件で信用するのか 」 という点だ。
私も、アメリカに住んでいた頃に “ 落し物を拾うという行為 ” については、日米で強調するポイントが違うことを実感した経験がある。
日本人にとっては、「 落とした人がわかっている 」、「 わからない 」 などは重要でなく、「 拾った人が、どういう態度をとるか 」 が問題視される。
つまり、拾う人物の 「 良心の問題 」 が問われるのだが、アメリカの子供に 「 日本人は道で拾った小銭を警察に届ける 」 と伝えても、理解されない。
英語には 「 Finders, keepers ; losers, weepers = ( 落し物は ) 拾った者が所有者になり、落とした人は泣く人になる 」 という表現がある。
小額のキャッシュを拾った場合、それを駅員や警官に届けても 「 99% は彼らが着服する 」 ので、自分のポケットに入れるという人が大半だ。
この 「 拾った者が所有者になる 」 というのは、単なる諺や習慣だけでなく、たとえばアメリカの場合は、法律的にも根拠があることなのだ。
もちろん、法律で 「 拾ったキャッシュを着服してもよい 」 とは定めていないが、アメリカでは 「 落とした人がわかっている 」 かどうかが問題になる。
つまり、わかっていれば着服すべきでないが、わかっていなければかまわないわけで、それを 「 不正直 」 と揶揄されることは滅多にない。
この違いを比較してみると、日本では 「 拾った側の態度 」 に、アメリカでは 「 落し物の状況 」 に、判断や、善悪の基準が分かれていることに気付く。
結果重視のアメリカ的発想に対し、「 届けたお金がどうなるかはともかく、個人的に着服などするべきでない 」 という日本人気質は、誇りに思える。
しかしそれは、私が 「 日本的教育 」 を受けて育ったからであり、欧米的な文化の中で育ったのなら、違う評価を下した可能性も高い。
今日、買い物に出かけた先で、小学生ぐらいの妹と、中学生ぐらいの兄が、拾った小銭を 「 届ける 」、「 届けても仕方ない 」 で言い争っていた。
それをみた母親が、「 仕方ないかもしれないけど、届けないと後味が悪いわよ 」 と諭すのを眺め、「 なるほどね 」 と、妙に納得した次第である。
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