| 2007年11月16日(金) |
三田 佳子 さん の息子が三度目の逮捕 |
「 この世でいちばん勇気があるのは、ピーナッツ をひとつだけ食べて、
そこでやめられる男だ 」
チャニング・ポロック ( アメリカの劇作家 )
No man in the world has more courage than the man who can stop after eating one peanut.
Channing Pollock
豆菓子やスナック菓子は、「 やめられない、とまらない 」 ものである。
無くても困りはしないが、つい、手を出すと最後まで止まらなくなる。
警視庁三田署は、覚せい剤取締法違反の現行犯で、女優 三田 佳子 さん の二男で歌手の 高橋 祐也 容疑者 (27) を逮捕した。
三田 さん によると、高橋 容疑者 は今年1月から、独語や重いうつ状態があったため、本人を説得した上で病院に2か月入院させたという。
ここ1週間、高橋 容疑者 のうつ状態が再び悪化したため、家族で協議し、19日に再入院させる準備をしていた矢先の逮捕だったらしい。
高橋 容疑者 が同法違反容疑で逮捕されたのは3回目で、2回目の逮捕後には、懲役2年、執行猶予5年の有罪判決を受けている。
記者会見で 三田 さん は、親としての責任から女優引退も考えていたことを打ち明け、ハンカチで目を押さえながら深々と頭を下げた。
たとえ、成人した息子が異常者でも、犯罪者でも、親に全責任が問われるわけではなく、マスコミが 三田 さん を責める姿には違和感をおぼえる。
前回 ( 2回目の逮捕 ) は、高橋 容疑者 が20歳になったばかりの頃で、毎月の小遣いを30万円も渡していたことに、少し、親の無責任を感じた。
今回は、( 分別あるはずの ) 27歳 であることから、「 誰々の息子 」 ではなく、一人の犯罪者、あるいは触法精神障害者として裁かれるべきだ。
明治時代まで、日本には 「 精神病院 」 が無く、精神障害者管理は家族の責任として、私宅監置することが義務付けられていたが、現代は違う。
三田 さん が責任を感じて、謝罪会見を開くのは立派な心掛けだが、あまり必要以上には立ち入らず、司法の手に委ねることが望ましい。
むしろ問題は、前回、累犯であったにも関わらず、「 執行猶予つき 」 という甘い処分を下した司法の責任にあるだろう。
おそらくは、まだ若い20歳の被告に対し 「 被告の将来を云々して … 」 といった情状酌量的な文言が並べられ、軽微な罰に至ったのだと思う。
人権保護や、弱者救済の建前から、触法少年、触法精神障害者らを監獄に送致せず、十分な反省や矯正の機会も与えないのは、いかがなものか。
ご承知の通り、麻薬、覚せい剤の類は、人間の心身を蝕み、不埒な使用者によって、その撲滅を困難なものにしているのが実態だ。
また、「 やめららない、とまらない 」 中毒性があり、再犯の可能性が極めて高いことは立証済みで、安易に放免するようでは無責任すぎる。
20歳でなくても、覚せい剤所持は慣例的に 「 初犯は実刑に処されない 」 という話を、昔、“ その筋の人 ” に聞いたことがある。
それが、軽率に手を染める輩が減らない元凶になっており、本気で撲滅を図りたいのなら、刑法を改正し、初犯から実刑、累犯は重罰にすべきだ。
とかく近代の刑事裁判では、「 犯罪 」 そのものを重視せず、「 犯罪者 」 にばかり目を向け、恣意的な感情を介入させ、判断を複雑にしすぎる。
犯人が 「 何をしでかしたのか 」 よりも、「 なぜ、こんなことをしたのか 」 にばかり触れ、罪と罰の妥当性より、犯罪者の人物評価に重きが置かれる。
おそらく、三田 さん が 「 精神病院に入れる矢先で … 」 と話した背景にも、精神病を理由に減刑を狙う 「 弁護士の 入れ知恵 」 があるのだろう。
少年だから、精神障害者だから、といった理由で放免するのは仕方ないとしても、その後、彼らに対する監督責任は、どこに帰属するのかが問題だ。
まして、薬物中毒であることが確認されている者を、無軌道に社会へ放ち、矯正も、追尾もしない現行の制度は、社会の治安維持を妨げている。
加害者の将来を語るよりも、そうした連中のせいで、何の罪もない若者たちの 「 将来を奪われる危険 」 を考えることが、優先される法制が望ましい。
三田 さん にはお気の毒だが、親としての責任や、息子の精神病を口実にするなら、こうなる前に、座敷牢でも作って、監禁しておくべきだった。
既に 高橋 容疑者 は、「 大女優の息子 」 でなく、「 社会の害悪 」 であり、無害が証明されるまでは、監視を解くべきでない存在なのである。
|