| 2007年12月26日(水) |
不幸を動機にする犯罪者 |
「 私たちの幸福のほとんどは、境遇ではなく、心の持ち方次第である 」
マーサ・ワシントン ( アメリカの初代大統領夫人 )
The greatest part of happiness depends on our disposition, not our circumstances.
Martha Washington
苦労して幸福を手に入れた人々は、大方、この言葉に共感する。
苦労を避け、たえず幸福じゃないと嘆く御仁には、永遠に理解されない。
大阪在住の 押谷 和夫 容疑者 は、38回にわたり使用済みの女性用下着など 計=約120点 を民家に投げ込み、逮捕、起訴された。
動機は、「 下着を人が拾って、ビックリするところを想像すると興奮した 」 というもので、性的人格障害、ようするに早い話が 「 変態 」 である。
ところが、捜査の行き詰まっていた14年前の強盗殺人事件で、犯人のものとみられる体液のDNA型が一致し、強盗殺人容疑で再逮捕となった。
しかも、過去の勤務先においては、私的な株式投資のために 約2億円 を着服していた事実まで判明し、捜査陣のみならず、世間を驚かせている。
過去、性犯罪、殺人、横領、それぞれの犯人は数あれど、「 変態で、人殺しで、泥棒 」 というのは、他に類をみない珍しいケースといえるだろう。
もちろん、人格障害者、精神障害者のすべてが犯罪者ではないけれども、犯罪に手を染める者は、多かれ少なかれ 「 精神の異常 」 を擁している。
押谷 容疑者 は警察で、妻の死後、男手一つで子育てをした苦労を挙げ、「 なぜ自分だけ、こんな辛い思いをしなければいけないのか 」 と漏らした。
ちなみに、妻が死去したのは95年で、殺人事件は93年の出来事だから、横領や変態行為はともかく、殺人に関しては何の言い訳にもならない。
第一、男手一つで子育てをする父親が、皆、近所に下着をばら撒いたり、強盗殺人をしたり、横領に手を染めているわけではない。
どんな苦労があったにせよ、「 同じ境遇にあれば、同じ悪事を犯す 」 とは考えられず、すべては彼自身にこそ、問題があるとしかいえないだろう。
近頃、世間には、押谷 容疑者 とまるで同様に 、「 なぜ、自分だけ、こんな辛い思いをしなければいけないのか 」 と嘆く御仁が多い。
単なる世間知らずや、情報不足ではなく、拉致被害者の家族や、理不尽な犯罪の犠牲になった方々、自分より哀れな存在を、彼らは知っている。
だが、他人がどんな苦労に耐えていようと、今年の流行語じゃないけれど、彼らにとっては 「 そんなの関係ねー 」 わけで、自分にしか興味がない。
悲惨な境遇や苦労に耐え、頑張っている人の話は、聞き流して遮断するか、適当に話は合わせるけれど、我が身の反省には活用しない主義だ。
自分は不幸な境遇にあるのだから、どうしようもないのだと嘆いていれば、人並みの努力をせずにすむし、楽で、居心地がよいのである。
妻に先立たれ、子育てをする父親の中には、己の不幸を嘆くだけの御仁もいれば、それ以上に、妻の分まで努力しなければと奮起する方々がいる。
子育ての責任を億劫に思う御仁もいれば、妻は亡くなったが 「 かけがえのない子供を残してくれた 」 と、己の宿命に感謝する人もいる。
このあたりは、家族に対する愛情の深さに起因しているようで、自分本位な人ほど、何かといえば 「 家族を養う責任 」 を、重荷でしかないと語る。
犯罪や、自傷、自殺に走りやすいタイプは、結局、家族や周囲に奉仕する喜びを知らず、自分さえよければいい 「 自己愛型人格障害者 」 である。
身の回りに 「 なぜ自分だけ、こんな辛い思いをしなければいけないのか 」 と口癖のように語る人物が現れたら、注意して観察することが望ましい。
押谷 容疑者が横領した職場の元同僚は、彼のことを 「 目立つタイプではなかったが、仕事ぶりは “ 非常にまじめだった ” 」 と語っている。
彼に下着をばら撒かれた近所の住民は、「 おとなしそうだったけど、自宅の二階から全裸で放尿しているところを目撃し、警戒していた 」 と語る。
この証言から、元同僚は観察力が欠けていて、近所の奥さんのほうが優れていることは明白で、周囲の警戒が検挙の速度にも影響を与えたようだ。
精神障害者といっても、奇異な言動を繰り返すだけでなく、人並みに知力があり、大抵の作業、日常生活は普通に行える人物のほうが圧倒的に多い。
差別や偏見ではなく、社会秩序を維持し、彼らを大きな事件の被害者にも、加害者にもしないために、日頃から周囲が見守る必要があるように思う。
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