「 人生はレールの上を走っているわけではない。
いつも思い通りの方向へ行くとは限らない 」
ウィリアム・ボイド ( イギリスの小説家 )
Life doesn't run on railway tracks. It doesn't always go the way you expect.
William Boyd
今年も残り僅かだが、悔いの残らないように、しっかり頑張りたい。
去年と違って、風邪もひかず、健康に年越しを迎えられそうだ。
人間は 「 喜怒哀楽 」 の感情を持つが、最近の子供たちは、昔に比べると総体的に 「 怒り ( 怒 ) 」 の感情を表出させることが多くなっているという。
怒りと同じような負の感情でも、こと 「 悲しみ ( 哀 ) 」 に関しては淡白で、感情反応が少ないという調査結果が報告されている。
本来、悲しいという感情は、何かを失った物質的喪失感、心理的喪失感、あるいは、目標を達成できなかったことなどが、主たる原因となる。
物を大事にしなかったり、人を愛さなくなったり、達成すべきことへの関与が弱すぎることで、最近の子は悲しみの感情反応が少ないのかもしれない。
また、悲しみが減少したからといって、その対極にある 「 喜び ( 喜 ) 」 の感情が増えたわけではなく、単に、怒りだけが増えているようだ。
怒りと悲しみは、どちらもネガティブな感情だが、怒りは誰にも自然に出てくるもので、悲しみは、ある程度の生活体験や想像力がないと生じにくい。
そういう意味では、怒りの感情を多く出す人より、傷ついたり、悲しんだりといった感情を表出しやすい人のほうが、人間的な成熟度は高いようだ。
喜び、楽しさといったポジティブな感情も、実は、この 「 悲しみ 」 に深く関係していて、悲しみを知っているからこそ、生まれるという説がある。
喪失感があるからこそ、物の有難みがわかるし、達成できないときの悔しさがあるからこそ、やり遂げたときの喜びや手応えが味わえるものだ。
そういう話を聴く機会があったので、自分自身の最近において、喜怒哀楽を感じた場面を思い出し、まとめてみることにした。
「 喜 」 については、中国関係で新たな投資を計画していたが、実行直前に不安要素を友人の国際弁護士から教えられ、中断した事例が挙げられる。
期待をしていた投資だったので、心残りな部分もあるけれど、損をしないですんだと思えば幸運な話だし、旧友への感謝は紛れも無く 「 喜 」 である。
「 怒 」 については、つい先日、彼女とドライブをしていたとき、障害者の方が運転する車が進入しようとしたので、徐行して進路を譲った際の話。
多少、進入に手間どられたのも事実だが、後ろにいたダンプカーの運転手が何度もクラクションを鳴らすので、ムカついて車を降り、睨みつけた。
すると、途端に大人しくなったのだが、助手席で彼女の呟いた 「 ヤ○ザ風の車種と人相だから、相手がビビッたのよ 」 という台詞に 「 怒 」 である。
「 哀 」 については、社会人になりたての頃、色々と面倒をみてもらった当時の上司が亡くなり、かつての仲間と共に葬儀へ参列したことだ。
その際に、上司の訃報はもとより、同期の一人が癌で急逝していた事実を知らされ、予期せず二重の悲しみに接する 「 哀 」 となった。
「 楽 」 については、初めてクリスマスシーズンに中国へ行き、従業員一同で心のこもったパーティを企画し、楽しませてくれたのが嬉しかった。
遠く離れた場所で、普段は実務を丸投げしているような 「 悪い経営者 」 に対し、それでも気を遣ってくれる彼らには感謝感激である。
また、帰国後すぐに彼女と会って、色々と不平不満はあるだろうに、上機嫌で素敵なイブを過ごしてくれたことも、「 楽 」 に挙げねば バチ があたる。
とまぁ、このように平凡な日常風景ではあるが、そこには喜怒哀楽と、気の置けない仲間との触れ合いや、ささやかな幸せに包まれた自分がいる。
特に何もないといえば何もないし、色々あったといえば色々あった一年が、様々な思い出と共に過ぎ去ろうとする気配を感じる。
日本での仕事は明日で区切りをつけ、新年は7日から再開する予定だが、中国の会社は30日まで営業し、新年も2日から稼動する。
できれば私自身は7日までゆっくりしたいが、メールやFAXや国際電話で、完全なオフにはならないかもしれない。
とりあえず明日は、オフィスの掃除をし、夕方から彼女と買出しに出かけ、ゆっくりと彼女の 「 喜怒哀楽 」 でも伺うことにしようと思っている。
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