「 信じる者同士は、ささいな違いで争う。
それに比べ、疑う者は、自分の中で葛藤するだけだ 」
グレアム・グリーン ( イギリスの作家 )
The believer will fight another believer over a shade of difference : the doubter fights only with himself.
Graham Greene
信じるべき相手が、信じられなくなったら、人は無力に陥る。
たとえばスポーツの場合、そんな環境で全力を尽くすことなど不可能だ。
中東勢への偏った判定が相次ぎ、異例の再開催となった男子ハンドボール北京五輪アジア予選 「 日本 対 韓国 」 戦が、代々木体育館で行われた。
残念ながら、終盤にみせた怒涛の追い上げも虚しく、日本が敗れる結果となったが、見応えのある好試合に、観衆は両軍選手の健闘を称えた。
下馬評でも 「 韓国が優勢 」 と報じられていたけれど、アウェーの状況下、実力を発揮した韓国チームは見事で、五輪でも、活躍しそうである。
日本チームも、これで終わりというわけではなく、5〜6月に開催される最終予選の戦績によっては、五輪出場への道も開ける。
今日の悔しさをバネにして、さらなる精進を重ね、次に対戦するときは雪辱できるよう、頑張ってもらいたいと思う。
ご承知の通り、再開催に至った経緯は、アジア・ハンドボール連盟による 「 オイルマネーを盾にした横暴 」 が原因で、なんとも理不尽な話だ。
傀儡の審判員による、あからさまに偏った判定は 「 中東の笛 」 と呼ばれ、試合前から結果がみえているほど、酷いものだったという。
彼らの恫喝に屈さず、数々の障害と紆余曲折を乗り越え、この再試合までこぎつけた関係者各位の熱意には頭が下がる。
自分も、長くスポーツに携わっていたが、「 信頼できない審判 」 を交えて、競技を行わなければならない状況など、まるで想像し難い。
そのような組織や個人は、スポーツの場から永久に追放すべきであって、競技の威信や名誉を傷つけた不正行為は、断固、厳しく処す必要がある。
国際試合の審判員として印象深いのは、サッカーのドイツ・ワールドカップで主審を務めた日本人の 上川 徹 氏 である。
彼の談話には、「 審判の主な仕事は、反則があったときに笛を吹くことではなく、試合全体のコントロールをすることだ 」 という主旨の話があった。
試合の最中には、激しく体をぶつけ合い、ボールを奪い合う中で、苛立ちや興奮がつのり、思わずヒートアップして、ラフプレイが起こりやすくなる。
乱闘や、危険な反則は、突発的に起こるものでなく、どこかに 「 予兆 」 があって、それを放置し続けていると、溜まった不満が爆発する図式だ。
彼は、常に試合全体の流れを観察し、様子のおかしい選手がいると、その選手に聞こえるように、近づいては、大声で注意を呼びかけていたという。
ワールドカップで彼が主審を務めた 「 ドイツ 対 ポルトガル 」 の試合でも、前半、加熱ぎみだった試合を、巧みなジャッジで冷静に導いた。
それは、ポルトガル代表の スコラーリ 監督や、ドイツ代表GKの オリバー・カーン らから賞賛され、当時、世界中の注目を集め、一躍有名になった。
公正で、円滑な試合進行を促す審判員は、オーケストラにおける指揮者のような存在にあり、とても重要な役割を担っているものだ。
審判が公正でなかったり、怠慢だったりすると、選手の士気にまで影響し、全力をぶつけあう好試合は、なかなか、みられないのが実態である。
スポーツを観戦する際、そんな 「 名試合には、名審判あり 」 という視点で眺めると、また、新たな楽しみ方が見出せるだろう。
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