2008年04月17日(木) |
大阪センチュリー交響楽団 |
「 オペラは、18世紀と19世紀の芸術なのに、20世紀の聴衆を
見つけなくてはならないんだ 」
ジョーラン・ジェンテレ ( メトロポリタン・オペラ総支配人 )
Opera is an 18th-and 19th-century art that must find a 20th-century audience.
Georan Gentele
これは、メトロポリタン・オペラの総支配人になる決意を語った台詞だ。
日本でも、伝統芸能などに携わる人々は、同じような苦労があるのだろう。
私の仕事柄、いまは一年で最も忙しい時期にあたるが、古い友達や知人に誘われて、このところ 「 コンサート 」 に出かける機会が多い。
さすがに、同級生の奥さんから誘われた 『 Hey!Say!JUMP 』 だけはお断りしたが、それ以外は、なんとか都合をつけて付き合っている。
今週も、月曜はシンフォニー・ホールで 『 大阪センチュリー交響楽団 』 を、火曜は四ツ橋で 『 シカゴ/ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース 』 を聴いた。
前者は、さほど興味もなかったのだが、知人からチケットを押し付けられたもので、後者は、前々から学生時代の仲間と約束していたものだ。
クラシック音楽も嫌いではないし、オフィスのBGMに利用したりしているが、わざわざチケットを入手して会場へ出向くことは、極めて稀なことである。
シンフォニー・ホールの会場前では、楽団の関係者とおぼしき人々が並び、大阪府の 橋下 知事 に宛てた 「 嘆願書への署名 」 を集めていた。
事前に報道で聞いていたが、このたび大阪府では、財政を立て直す目的で、不要な補助金の打ち切りを進めており、この楽団も対象になっている。
大阪センチュリー交響楽団は、年間7億円程の予算で運営されているが、そのうち4億5千万円は 「 補助金 」 で賄われているのが実態だ。
潰す、解散させるという話ではなく、他の在阪オーケストラとの統合を図り、それぞれ別に組んできた多額の補助金を、見直そうとする試みである。
当事者の皆さんには災難かもしれないが、困窮する府の財政を鑑みると、贅沢ばかりも言ってられないというところだろう。
私自身、ジャンルを問わず、音楽は好きだが、一つの楽団を維持するため 「 4億5千万円の公費 」 が遣われることには、少なからず疑問を感じる。
黒字ならまだしも、破綻寸前の大阪府が、ポンと酔狂に出せる範囲の金額ではないし、この予算を削ったところで、府民の生活が脅かされもしない。
音楽には 「 人心を豊かにする効能 」 があるし、経済的に窮しても守るべき文化というものもあるが、運営を補助金に頼りすぎるのもどうかと思う。
昨年度、日本で最も売れたCDは、テノール歌手 秋川 雅史 さん が唄った 『 千の風になって 』 であり、「 クラシックは儲からない 」 ともいえない。
プロ である以上、公演やCDの売上などによって採算をとる努力をすべきであり、署名を集める暇があるのなら、チケットでも売りさばくべきだろう。 ( * 今回は法人会員に招待されたので、チケット制かどうか知らないが )
それに、どうも納得できないのは、彼らが 「 ロック 」 や 「 ヒップホップ 」 でなく、「 クラシック 」 奏者だから補助金の対象になっているという事実だ。
数ある音楽ジャンルの中で、クラシックが優れ、ジャズが劣るという比較は、まるで 「 空手と相撲は、どちらが強いか 」 と同じように、成立しない。
クラシック音楽には、歴史の重みに支えられた格調があるけれども、芸術として評価するには 「 創造性 」 の部分で致命的な欠点がある。
つまり、すべてが 「 コピー音楽 」 なのだという宿命を背負っているわけで、いくら上手に演奏できても、芸術作品としての “ オリジナリティ ” は無い。
稀代の贋作画家が、ダ・ヴィンチより上手に 「 モナリザ 」 を描いたとしても “ 芸術 ” と評価されないように、オーケストラは “ 継承者 ” でしかない。
また、いくら技術に秀でていても、聴衆が集まらず 「 商売 」 にならないようでは、プロ を語る資格が無いのも事実だ。
民間の製造業に置き換えると理解しやすいが、たとえ 「 最高の商品 」 だと自負する品物を持っていても、お客に売れなければ会社は倒産する。
大衆に支持されず、不採算だが 「 芸術的なんだから府で面倒みろよ 」 と自治体に タカる のは、身勝手で、自意識過剰といわざるを得ない。
彼らは、「 府に補助金を打ち切られる 」 ことよりも、「 自分たちの音楽に、大衆がお金を払ってくれない 」 ことにこそ、問題点を見出すべきなのだ。
かつて大阪は、地元文化の象徴であった 『 中座 』 さえ、不採算を理由に切り捨てた過去があり、不採算オーケストラの存続は、風前の灯だろう。
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