2008年04月18日(金) |
名古屋高裁 : 裁判長による越権行為 |
「 持論を持てば持つほど、ものが見えなくなる 」
ヴィム・ヴェンダース ( ドイツの映画監督 )
The more opinions you have, the less you see.
Wim Wenders
決断の場で必要とされる資質は、「 物事を客観的に判断する能力 」 だ。
思い込みの激しい人や、原理主義的な思想の持ち主は、そこが弱い。
自衛隊のイラク派遣は憲法違反として、派遣の差し止めや、慰謝料を国に求める訴訟の控訴審判決が、名古屋高等裁判所で下された。
1審の名古屋地裁判決は、派遣差し止めについて 「 具体的な権利や義務に関する紛争ではなく、訴えは不適法 」 と却下している。
1人1万円の慰謝料請求についても、「 市民の具体的権利が侵害されたとは認められない 」 として棄却した。
名古屋高裁の 青山 裁判長 は、主文で国側を勝訴としながらも、「 自衛隊のイラク派遣は違憲 」 という判断を下し、物議を醸している。
原告の訴えは退けられ、被告の国側は、判決内容に反論があっても、主文で勝訴しているために上告ができず、なんとも後味の悪い結末となった。
この判決を巡り、「 司法によるイラク派遣への違憲判断が出た 」 などと、意味不明な報道や、一部ブログでの記述が乱れ飛んでいる。
司法の判断とは、「 争点になっている訴えに関する判断 」 を指すわけで、この場合でいうと 「 国側の勝訴 」 という判決こそが、司法の判断である。
判決の主文に影響しない憲法問題について、裁判長が 「 違憲 」 だとする解釈を示したのは、司法の判断でなく、彼個人による 「 越権行為 」 だ。
裁判所は、訴えたことについてのみ判断する義務があり、問われていない 「 違憲かどうか 」 を判断する立場になく、軽率に発言すべきでない。
この裁判長がしたことは、個人的な意思と職権の乱用によって、いたずらに法廷を 「 違憲主張の場 」 にする暴挙であり、これは厳罰に値する。
事実、単なる “ 独り言 ” に過ぎない彼の発言を受け、マスコミは 「 司法によるイラク派遣への違憲判断 」 と騒ぎ、一部の市民は鵜呑みにしている。
もちろん、この裁判長が主文で 「 イラク派遣は違憲だし、国側の敗訴 」 という判決を下したのなら、それは司法判断として認められる。
日本は 「 三権分立 」 を遵守しており、たとえ政府が相手でも、悪いことは悪いと言う権利が保障されているわけで、いささかの遠慮も要らない。
ただし、肝心の主文で 「 国は悪くない 」 とする判決を下しながら、個人的な意見や、感想を加える権限は、裁判長といえども与えられていない。
たとえば、無罪になった被告に対して、「 法律的には無罪なんだけどさぁ、個人的には嫌いだなぁ 」 などと裁判長が語るのは、それこそ違憲である。
私は司法の立場にいる人間じゃないので、個人的な見解を述べさせていただくが、イラクへの自衛隊派遣は 「 明らかに違憲 」 である。
ただし、「 憲法自体に矛盾点、問題点が多い 」 ことや、「 憲法を守るよりも、はるかに重要なことがある 」 ことから、派遣は適切だと思う。
この裁判長が、どのような哲学を持っていたのか知らないけれど、個人的な感慨を吐露することで、中立性、客観性を欠いてしまう恐れは大きい。
誰にでも感情があり、司法の世界に身を置く人々も例外ではないが、その立場上、胸にしまっておく義務があることを、忘れないようにすべきだ。
控訴審で言及されていない憲法解釈について、不用意な発言をした彼こそが、「 三権分立制度を危うくする不心得者 」 なのではないだろうか。
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