2008年05月28日(水) |
船場吉兆の廃業について思うこと |
「 友人を得るには、色々なことをしなければならないが、
失うには、たった一つの行為でいい 」
英語のジョーク
Friends are made by many acts - and lost by only one.
English joke
二流以下の勤め人は、「 自分の給料は会社が払っている 」 と思っている。
一流は、「 自分の給料はお客様が払っている 」 ことを絶えず意識する。
牛肉産地偽装事件で、大阪府警が捜査している民事再生手続き中の料亭 「 船場吉兆 」 が、再建を断念し廃業すると発表した。
このところ、特に他府県の人から 「 船場吉兆は、いつ潰れるのか 」 という質問をされることが多く、面倒に思っていた矢先の発表だった。
一部経営陣を入れ替え、営業を再開したまではよかったが、今月になって、客が残した料理を別の客に回していた問題が露呈し、客足が遠のいた。
使い回しの発覚以降は、全く客が入らない日もあり、予約も数えるほどで、今後も売り上げが回復する見込みはないと判断した模様だ。
女将は会見の席上で 「 ( 廃業を ) 断腸の思い 」 と語ったが、人情に厚い大阪の食通を裏切り続けた行為は、もはや挽回の余地などないだろう。
たぶん、同時に写真を並べると似てもいないのだろうが、「 吉兆 の 女将 」 と、「 和泉 元弥 の 母親 」 の顔が、なんとなく重なるのは私だけだろうか。
それは、「 頼りない息子を影で支える “ したたかな母親 ” 」 という共通した印象によるところが大きいのかもしれない。
吉兆を巡る一連の不祥事では、経営者側の責任ばかりが報じられ、現場で悪事に手を染めた 「 従業員の責任 」 を問う声は聞かれない。
彼らは上からの命令に逆らえない立場で、やむを得ず不祥事に加担させられた後、勇気をもって内部告発した存在として、擁護されているようだ。
たしかに、そういった事情は理解できるが、どうせ内部告発をするのなら、どうしてもっと早い時期にしなかったのか、腑に落ちない点も多い。
一部報道によると、吉兆による 「 使い回し 」 は、10年以上も前から続いており、本店のみならず、各支店でも日常茶飯事だったという。
つまり、おそらく全ての従業員が 「 使い回し 」 を知っていたうえで、上からの指示があったにせよ、隠蔽していたとみて間違いないだろう。
吉兆といえば 「 大阪の誇り 」 とまでも称された名店で、その板場を預かる料理人たちも、常連客からは 「 一流のプロ 」 として評価されていた。
彼らに 「 プロとしての誇り 」 が本当にあったのなら、自分たちの腕を評価し、お金を払ってくれるのは誰なのか、知らないはずはない。
たとえ、雇用する店側が不誠実な仕事を指示しても、お客様に誠意を示し、誇りをかけて一蹴するのが 「 一流のプロ 」 なのではないだろうか。
吉兆を巡る一連の不祥事で、経営陣の責任が重いことは否めないけれど、かといって、従業員に 「 何の責任もなかった 」 とは思えない。
もともと 「 罪 」 という発想はキリスト教から出でたもので、それを信仰する欧米人には 「 罪の文化 」 が浸透してきた。
それに対し、日本人には、武士道などの美学から出でた 「 恥の文化 」 が根強く、自己の哲学に恥じない生き方が重要だと考えられてきた。
いくら従業員に 「 罪 」 が問われなくても、プロとして 「 恥 」 にあたる行為を続けてきたことは、紛れも無い事実なのである。
船場吉兆は廃業するが、そこで働いた多くの調理師の面々には、顧客第一の発想と、プロの誇りについて猛省し、再出発に臨んでほしいと思う。
|