2003年11月29日(土) (シリーズ)父からのメール��
私の魂は、熱帯モンスーンの赤土と共にいる時が一番安らかです。
いつか、この、汗さえも流れる前に乾いてしまうような、脳髄が沸騰しそうな暑さを味わいに、訪ねてみてください。
雑踏が絶え間ない喧騒にゆれるバンコクの道端の屋台で、熱くて辛くて酸っぱくて甘いクイッティオ・センヤイ・ナムを食べて、噴出す汗の非現実感を楽しんでください。
チャオプラヤー・リバーを朱に染める夕陽を浴びて、周囲の騒音が消える瞬間に息をのんでください。
時間が停まっているかのような田舎で、大人のようなしっかりした少年と、子供のときの笑顔と好奇心を失っていない老人に出会ってみてください。
山間の、見る物も何もないような鄙びた観光地で、上気してはしゃぐ親子に出会ってください。
電気も窓もない、バナナの樹木と葉だけで組み立てられたような家で、家族とほんの十数人の親族しか住んでいない田舎から出てきて、そんな家族への仕送りのために、自分の持っている唯一の、かけがえのない財産を収入に換え続けている女性たちの、底抜けに明るい声と、時折よぎる怯えた眼差しに触れてみてください。
そんな「客」と歩く時も、寺院や祭壇の見えるところでは神妙な表情で合掌する彼女たちの、健気な信仰心を愛してください。
映画館のVIPシートでいちゃついてるすねかじりの生意気そうなカップルが、本編に先立ってスクリーンに放映されるプミポン国王の姿に、直立して敬意をあらわしている姿を、その目で確かめてください。
路上にテントを組み立てては商品を丹念にならべ、そしてまた時がくればすべてを回収して持ち帰り、毎日毎日、毎日毎日、それを繰り返し続ける商人たちの、勤勉さと投げやりなしぐさが同居する姿に、戸惑いを感じてください。
観光客のために作られた山中の村落で、大人たちのまねをして「ハロー、サンキュー」と叫んで走り寄ってくる、埃だらけの擦り切れたシャツを着た子供たちに、笑顔で応じてください。
「貧しさ」の意味を気付かされ、それでもそこから抜け出せるための術はかくされたままで生きている人々の背後に拡がる、青く輝く水田とサップグリーンの樹林と、コバルトの空の美しさを、眩むような日差しと熱気のただ中で吸い込んでみてください。
薄汚い屋台に並べられ、もっとくすんだ売り子の手から、淀みの住人のような人々の首にかけられる、宝石細工にも劣らず丹念に編み込まれた鮮やかなジャスミンの首飾りの、とろけるような薫りを、体感してください。
その首飾りにこめられた思いはいったい何なのか、彼らを眺めながら想像してみてください。
まだほの暗い早朝に、わずかな収入の中から、托鉢の僧侶のために供物を買い求め、「土下座」してそれらを差し出す人々の、安らいだ笑顔を見いだしてください。
日本人が、どれほど卑しい民族かを、味わえるかも。
(亜熱帯なのに)朝夕はちょっと涼しく、時には寒く感じられます。そんな時の、少しだけタイ人体質になれたような錯覚が、嬉しいです。
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