2003年11月30日(日) (シリーズ)父からのメール��
「歌は私の玩具。けれどそれは悲しき玩具」(石川啄木)
私の玩具は文章かな。 悲しくはないけど。
生身の会話も変化続きで悪くないけど疲れる。 だいいち相手の話も聞かなきゃないし。 TVドラマだってビデオに撮って観てるくらいだし。 相手のペースで動かされるのは仕事のときだけでカンベンしてよって感じ。 何のために一人になったのかわかんねーじゃねーか。ってね。 ま、しかたないから自分のアイコンを呼び出してチャットモードに変換するんだけどね。
メール通信というシステムは、私の性分に合ってます。 一方的に遊びまくってても一応読んでくれるし。 文章完成したらボタンひとつで届いちゃうし。 こっちも気が乗らない時には斜めに読んどいてあとで腰をためてから読み返せるし。 ツボにはまるとリアルタイムで返事が来るのも、んーん、私服の瞬間! 「手紙世代」には気抜けするほどのお手軽さです。
日記以外の文章は、やっぱり誰かに読まれることを想定してるのはしかたがない。 日記だって、万一読まれたらマズイことは暗号とかにしたりね。
結婚相手って、けっこう配偶者の日記を盗み読みするんだよね。隠してても。だから、しばらくしてから書かなくなってしまった。 読まれることを見越して脚色したり、デタラメ書いといたり。
なんのための日記なんだか(笑)
すべてを知ることは、幸福への道ではなく、むしろ障害になることが多いような気がします。
だから優しい嘘は、好きです。
無垢のまま出会うより、いびつな者同士のほうが、互いに融合するための努力を惜しまないだろうし。(無垢な人は、自分の痛みしかわからない人が多かったし)
自分を美化するためではなく、自分が不利にならないためのものでもなく、傷つけたくない、苦しませたくないと気遣ってついてくれる嘘は、その人を美しく包む。 だから、だまされてもいいと思う。
もっと早くこの状況に、この相手に出会っていれば避けられたはずの数々は、自分の中で処理していくしかないよね。
許しや理解を求めて、相手に負担を押し付けるのは、「正直者」の身勝手。 その前に、気持ちやしがらみやらの整理、記憶に対峙する苦痛を伴う努力は、自分ひとりで完結させておかなければならないと思う。 その過程のひとつひとつが、相手に対する愛着、大切にしてあげたいという気持ちを充実させていくはず。
裏切る気やだますつもりは、ない、だけど変更できない予定、消せない過去、否定のしようがない目の前の現実、振り払えないほかの誰かに対する未練や、与えてしまった傷の切なさは、いつまでも生傷のままで、触れれば痛みも感じてしまう。
話したいなら聞いてあげるし受け止めてもあげられるけど、それは、きっと新たな重荷となって、お互いの負担のまま、二度と消えることはないだろう。 それでも話した方がいいと言う人は少なくないけれど。
カードの多くは隠されていても、開かれたカードを見れば、残りの分は推察できる。 何枚隠し持っているのかも、その絵柄さえも。 でも、それは、たとえ見透かされてても、開かず隠したままにしておいてほしい。
相手は、「手持ちのカードは、もうない」などとは言わないだろうけれど、(そんな見え透いた嘘を受け入れるほど私はお人よしではないし)「実はまだ持ってる」とも言って欲しくない。
平坦ではなかった毎日を何年も一生懸命生きていて、なにもないはずはない。 求め、受け入れ、傷つき合いながら、失ってしまった貴重な日々も。 それは、ほかの誰でもない、自分だけの大切な証しとして、その人を魅力的にしてくれるだろう。
そうして、私も、優しい嘘をつく。 重い記憶を微笑みでくるんで、壁を塗り替え、床を磨き、それをいつまでも維持していくために。
−
最近、こんな風に思うようになりました。
まあね、こうやって並べた言葉も、やがて「嘘」になってしまうんだけどね。 その時がくれば、やっぱりまた知りたくなるかもしれないし。 でも、相手の陰の部分をいろいろ知ったあとでも、屈託なく愛するなんて、私にはできそうにない。
このへんが私の限界なのかもしれない。 人の日記を盗み見ることだけは、多分もう二度としないだろうけれど。
「役者」である自分を、つい自嘲気味に見てしまうのは、意識的によそおうことを「悪いこと」と位置づけているからだろうか。 「ブリっこ」という言葉は、いつも否定的に使われる。 まあそれは、「地」が見えてしまうヘボ役者に対する無念の思いも込められているんだろうけどね。 有名人の私生活の暴露話も、結構商売になってるみたいだけど、 いつまでも騙しておいて欲しい気持ちって、ほかの人にはないのかな。 君はどう?
私の文面には、あちこちにウソがちりばめられています。 と言うより、ウソのところどころに本音をまぶしてある、ってほうが近い。 いや、あの、事実関係についてはね、めったなことでは嘘はつかないよ。 しもしないことを自慢げに経験者ぶったりはしないけど、まぁ、たまに口がすべったりはするけど、脚色もしないではないけど、わざとウソっぽく話して冗談にしてしまったりもしたりしなかったり。
「ウソつき」の私は、好きです。(笑) たまにホンネがこぼれても、誰も本気にしないし。 どうせ私のことを私以上に知ってる人なんていないんだから、「ペルシャのオリーブ油のようにつかみどころのない奴」って思われたい。 自分というものを知ってほしくてじたばたしても結局伝わるのは「じたばたしている自分」だけってことに、もっと早く気づけよおっさん。
へへっ、でも気づいちゃったもんね〜 だ〜から〜、 「ワルぶってバカ装ってるけど、ホントは優しい人」 「強がってても、ホントは慰めてほしいのかな」 なんて、あはははははは、カイカーン!
ぼそぼそっと意味シンなことをもらして、あっやべってな顔して笑ってごまかすふりをする私を、ありもしないウラのワタシのヒメゴトを、ふふっ解ってるぞと、勝手に想像して楽しんでください好きなだけ。
(それにしてもみんな、なんであんなに簡単にダマされちゃうの?) (それとも、そう思ってるのは私だけ?) (ま、楽しいからどっちでもいいんだけどね)
(って、バラしてこれからどうする気だよ) (それはそれで、別の楽しみ方もできる、ってか)
返事がほしい時と、別にいらないって時の、君の反応はいつも期待どおりで、楽しいです。 (さて、今回はどちらでしょう?)
こうして私は、「役者」であり続け、文章は私の玩具であり続けるのです。
(うん、ひさしぶりにオチが主題につながったな)
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