楓蔦黄屋
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2021年07月25日(日) |
甲戌・大潮・役に立つ |
役に立たないと思われるのも、けっこう役に立つかもしれないと思っている。
私は頼りがいがないと思う。 まわりにもそう思われている。だから頼られた経験は少ない。 むしろ自分がしっかりしなきゃ、と思わせたことなら何度もある。
有事の際に誰かを守ったり何かに立ち向かったりもしたことがない。 有事の際は、現場にかけつけたらもう一区切りついていたりしてやることがない。 ヘタに手伝うと状況が悪化することのほうが多い。 でも善意なので怒るに怒れない。
何よりも、人の役に立ちたいという想いが希薄だ。 皆無といってもいいかもしれない。
人の役に立って何かいいことあんの?とかそういう斜に構えたアレでもなく、 純粋に、ただただ純粋に、そう思う機能が欠落している。 自虐ではない。そういう性分なんだと思う。 なぜなら人の役に立てないことで負い目を感じたことはないからだ。
モネちゃんは自分が何もできなかったことが心にいつまでも残っていた。 私はたぶんあんまりそう思わない。 そもそもが、何かできると思っていない。
仕事でもそうだ。役に立っているとは思わない。 周りの人が、役に立たせてくれているのだ。 じゃなきゃこんな商売はとても成り立たない。
それはいかがなものかと思い、ここ数年は人の役に立てるならと思って行動したこともあった。 が。 最近は、もうあまり人の役に立ちたいと思わないほうが いいかもしれないと思いはじめている。
物事はなるようにしかならない。
人を変えようと思って働きかけても、人は変わらない。
何よりも私は、人の役に立つことで自分の存在価値を認めるという構造にはなっていないのだ。
私は死ぬのが怖い。 生まれてきたことがそれだけでもう奇跡のように思える。 おかげさまで五体満足で、歩いて呼吸をするとそれだけで満足巻を得られるみたいなところがある。
だからそれ以上の存在価値とか、正直よくわからないのだ。 目覚めたり、眠ったり、それで充分自分の存在している意義を感じられるタイプなのだ。
幸せなんだろうなと思う。いろんな意味で。 恵まれているとも思う。
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どこへ行ってもそれなりに浮く。
心が浮く。 しっくり据わったためしがない。
ここから逃げ出したいと思ったことは数あれど、 しかし自分の居場所はどこにもないとかそういう考え方になったことがない。
居心地の悪さを感じることはあっても、 それを「自分の居場所」という言葉に変換することはなかった。
なんだかんだで自分の中に、独自の世界やイメージがいつでもあった。 漫画を読めばそこが自分の場所だったし、 音楽を聴けばそこが自分の世界だった。 誰も触れない一人だけの国。
どこでも少しだけ浮いていた。 でもそれなりに存在感はあった。 そういうちょっと特殊なポジションかもしれない。
すっかり忘れ去られるでもなく、ふつうに思い出してもらえる感じ。
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頼られないけど忘れ去られもしないという存在が もしかしたらこれから、役に立つかも知れないと思った。 そこにいるだけだけど、周りが何かをするニュートラルな理由になれるかもしれない。
何もしがらみなく、きっかけとして存在できるかもしれないと。
役に立つかは自分が働きかけることではない。 周りが決めることだ。
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私の言葉はまわりに理解されにくい。 だから自分の感覚そのものが嘘だと思っていた。
だけど嘘は嘘として、どう名前をつけられようと、 わりと壊れずに、風化せずに、残っているもんなんだなと思う。
そこまでいくと、もうどう否定されようが相手にされまいが、存在が消えることはない。 自分が「こりゃ嘘なんだろうな」と否定して、否定したままずっと残ってきたのだ。
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ダンナの存在は大きい。
彼に認められてから私の世界は一変した。
言葉は理解されにくいし、嘘は嘘のままだけど、 自分はそれをそのまま持ちつづけているという事実に気づいたからだ。
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自信を持つという概念もない。 もしかしたら自分は自信を持っているのかもしれないが、 自信っていうものの色や形は人によって本当に違うから、 私が持っているものが自信というものなのかは判別のしようがない。
何かをやるときに、成功とか失敗とかそういうことを考えない、というか考えられない この性分が自信と呼べるならまあ自信満々なわけだが、たぶん違うと思う。 何かをやるときにはもう他に何も目に入らない。 そしてやったらやりっぱなしだ。結果を見ない。というか何が結果なのかわからない。
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私は、もし両親が偶然引っ越しをしなければこの世にいなかった人間だ。 それを聞いたときは心の底から「あっぶねーーーーー!」と思ったものだ。
生きていて辛い目に遭うのと、 この世にいないのは、別物だ。 同列に語んなくても別にいいと私は思う。
楓蔦きなり
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