2002年04月13日(土) |
ハチ公の最後の恋人 吉本ばなな |
中公文庫 1998
ところで、全然関係ないけど、『ニョタイミダス』の作者の写真をひょんなことから見た。結構きれいな人のように思ったんだけど。パーツパーツを言われてみればそうなのかなーとは思ったけど、やっぱり大げさに書いてるんだね。
STORY: 宗教をやっている家に生まれたマオ。祖母から「おまえはハチ公の最後の恋人になる」と言われていた。家出をしたときにハチという男と知り合ったマオはハチの家に転がり込むが・・・。
感想: 吉本ばななは一時期ものすごくちやほやされていて、私はそういう風に評判になっている人の本を読むというのが何となく好きではなかったので、今までにも読んだことがない。(もちろんちやほやされる前からファンだった人の場合は、ようやく認められたかと思う程度だけど) 実は1冊借りて読んでいたのだけれど、途中で返却の期限がきてしまい、とりあえず返してもう一度借りようと思ったら、予約が入っていて本を取り上げられてしまったのだ。でも、その本をもう一度読みたいともあまり思わなかったので、そのままになってしまったという過去がある。
そして、この本も・・・やっぱり途中でももういいやと思ったかもしれない。とはいえ、とても短い話なので1日で読み終わってしまったけど。
私はどうも日本の純文学とでもいうのかな? そういうジャンルの本がいまいち好きじゃない。特に自分が傷ついていたり、生き方を模索しているわけのわからない主人公というのがあまり好きじゃないのね。自分の意志がなくて、何をしていいんだかわからなくて生きている・・・そういう人が主人公の話というのは、読んでいても何だか疲れてくるわけ。こういうのが好きな人っていうのは自分も悩んだりしているから好きなのかな。私は自分が悩んだりしている時にこんなのを読んだらだめだーと思うほうだから、あまり受け付けない。けど、日本の場合、(外国もそうなのかはわからないけど)こういう作品がもてはやされる傾向にあるのはなぜなのだろう? だから、私は日本の作品が好きではなくて、今までも海外のものばかりに手を出してきていた。
吉本ばななは確かみずみずしい感性とか、そういうのを売りにしていたような気がするんだけど。やっぱり私にはあまり理解できないのかなあ。 まあ、面白い場面もないとはいえないし、表現にはっとするところもあるかもしれないけれど、何だか読んだから何が残るというわけでもないしなあ。
小説として面白いものを作って、その中に作者の思想をちりばめるというのはとても読んでいてもすんなりと入ってくるのだけれど、こういう感じだとなんかどうでもいいなーって思ってしまう。やっぱり日本的みずみずしい感覚の作品・・・とかいうのにはなじめそうにない・・・。
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