きよこの日記

2003年06月28日(土) 三島由紀夫『真夏の死』

結局、今週は早退やお休みをもらったりしてしまった。
わが体、不如意なり。

ひたすらに体調の復活を待つ私は、やわらかな真綿布団の牢獄にとらわれた虜囚です。

体をよこたえ続けるものの、眠りが訪れないようなときや、思いがけず目が覚めてしまった夜中など、ぼんやりとした不安に取り付かれて、頭ばかりがくるくると働いてしまうのですが、三島由紀夫の短編集はそんな悪循環から救ってくれました。

表題の『真夏の死』をはじめ、比較的短い、そして、それぞれ非常に個性的な作品群で、三島由紀夫の底知れぬ才能を再認識したしだいです。

そして、ご自身による解説。

  自作自註というのは可也り退屈な作業だが、こういうことを自分にさせる唯一の情熱は、ありていに言って、読者のためよりも、自分のためである。即ち、第三者の手にかかって、とんでもない臆測をされるよりも、古い自作を自分の手で面倒を見てやりたい、というだけのことだ。

と、その冒頭で自身は述べていますが、読者にとって、自作自註ほどうれしいことはないです。
理由は、三島氏も指摘されているように、「解説者は作者の意図、真意を本当に正しく理解しているのだろうか」という疑念を抱いてしまうからです。
とくに、三島由紀夫ほどの作家になると、作品の奥に、どんな仕掛けが隠されているのかなんて、本人以外にわかりっこない気がします。

文学の研究に対しても、私は同じような疑念を抱いてしまいます。
どんなに高尚な論を打ち立てても、作者がその作品にこめたもの以上の意味はそこに発生しないんじゃないでしょうか?
文学史などは社会情勢、文化の潮流などの影響があるだろうから、またちがうんでしょうけど、こと、作品論ということについて、そんな風に思ってしまうのです。



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