26歳の誕生日を迎えました。 ”26歳” 25という響きにも実感のないまま迎えてしまった。 この響きにはなにか漠としていながら、しかし確かな重みがありますなあ。
朝、妹から、ハッピーバースデーメールがありました。 最近まったく音沙汰がなくって、無事に生きているかしらん、と、気になっていたところだったので、うれしさ百倍です。 「誕生日を覚えていてくれたんだー♪るんるん」
授業に行った1年生のクラスで、 「先生、今日誕生日だよねー!」 って。 ちらりといつか話したことを覚えていてくれた。 ハッピーバースデーの歌なんて歌ってもらっちゃったよう。
これ以外にも、思いがけないところで、思いがけない人々からお祝いの言葉をかけてもらって、幸せ満載のきよこ26歳の誕生日でした。 誕生日を覚えてもらっている、こんな幸せなことってないね。 私が存在していることの意味をみんなに証明してもらったような、元気がわいてきます。
(去年の誕生日の日記を読み返してみると、とても興味深いです。)
こんな幸せな一日ですが、私のあまのじゃく気質にチラリとひっかかることがあります。 「もう26歳!やばいよ。もうすぐ30になっちゃうじゃん」 などなど、26という年を言ったときに、必ずといっていいほど、若くなくなってしまって残念だね、というようなニュアンスのことを冗談で言われます。
年をとることはそんなに敬遠すべき、絶望的なことなのでしょうか? 若いということはそんなにすばらしい、輝かしいことなのでしょうか?
むしろ、私は、若いということは、青臭く、恥多く、苦しいことだと思っています。 若いときに、たくさんの挫折と葛藤を繰り返し、その一つ一つを自分の成長の糧として、少しずつ、まともな、円熟した人間になっていくのだから、若いということはどちらかというと、恥ずかしいことのような気がします。
だけど、若ければ若いほど価値がある、というのが一般的な価値観なんですね。
「亀の甲より年の功」 語り継がれる言葉には、真理があります。
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